死人のような街で生まれて
歩けるようになった瞬間に、仕打ちを受けた
最後には打ちのめされた犬のようになる
そして身を隠すようにして、人生を送るんだ

生まれたんだ アメリカで
俺は アメリカで生まれた
俺は アメリカで生まれた
生まれたんだ アメリカで

翻訳はhttp://kore.mitene.or.jp/~harukado/syumi/syumi.top.html

〜超大国の衰微〜

 1980年代に入ると超大国ソ連とアメリカの衰微が目立ってきます。その間に上昇してくるのが日本です。超大国の衰微こそが、バブルへと舞い上がっていく大きな一歩になります。まずは、

ソ連
 80年代初頭、ソ連は堂々たる大国の地位を保ってはいましたが、次第に経済状況は悪化し続けていました。硬直した官僚制が、その最大の問題でした。国民の全てが公務員という社会では、意欲もやる気もありません。コンピュータ、特にパソコンを中心としたコンピュータの小型化、低価格化、ネットワークの形成には、まったくと言ってよいほど対応不能でした。技術革新への遅れが降り積もっていました。

 しかし、最大の契機になるのは、アフガン侵攻の泥沼化でした。ベトナム戦争のソ連版になったことです。

  

 1979年の侵攻から、撤退の1989年まで、10年間にわたる戦争によって、多くの若者が死に、生きて帰ったものにも、大きな後遺症を残しました。国際的にも、モスクワ・オリンピックの西側諸国のボイコットがある等、その威信は大きく低下しました。
撤退するソ連兵

 そして、もう一つはチェルノブイリ原発の事故です。1986年4月26日に起きた原発事故は、ソ連国内だけでなく、周辺のヨーロッパ諸国にも、農産物を中心に大きな被害を及ぼし、その対応の拙さから、ソ連の威信は大きく低下するのです。


犠牲になった子供達

 ソ連書記長ゴルバチョフの提唱したペレストロイカが起爆剤となって東欧革命と呼ばれる状況が出現します。ハンガリー/オーストリア国境の開放が呼び水になって、大量の人々が共産圏から自由主義圏の西ヨーロッパに移動し始めます。89年11月に、冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊が起き、東欧圏における共産主義体制は瓦解します。

                       壁の前に集まる市民達、壁の向うはブランデルグ門

 そして1992年12月、ソ連が崩壊。 超大国の地位から、滑り落ち、社会主義・共産主義が終焉を迎えるのです。



アメリカ
 ベトナム戦争が終わったあたりからアメリカの衰微は次第に露になっていました。ベトナム戦争の後遺症も大きかったでしょうが、勃興する日本、西ドイツの製造業になすすべもなく敗れていくことになります。 内政干渉ともいうべき交渉が日米間で行われました。しかし、何らの効果を生むことはありませんでした。高インフレと高失業(したがって、高まる悲惨度指数)、労働生産性上昇率の鈍化などに苦しみ、マクロ経済のパフォーマンスは地に落ちます。レーガン大統領の施策も功を奏しません。不況により、かつてとは比べものにならないほど治安を悪化させ、中でもスラムと化した大都市内が問題をこじらせていました。
ニューヨーク、サウスブロンクスの路上
 そんな中で何とか維持してきた株価が暴落します。

(ブラック・マンデー)
 87年10月19日にブラック・マンデーが勃発します。 この日ニューヨーク株式市場は508ドルという史上最大の暴落を記録し、世界同時株安を引き起こします。 この同時株安を救ったのは東証の底堅い動きであり、世界を救ったとさえ讃えられます。 その一方でドルを買い支え続けた大量の資金が、国内にあふれ出てバブルを加速させていったのです。
ニューヨーク地下鉄内
 アメリカ経済はどん底に陥ります。ニューヨーク市内は物乞いがあふれ、殺人、強盗事件が頻発、世界でも有数の危険地帯になります。ベトナム戦争を契機とした麻薬ブーム、中でもクラックブームも大きかったでしょう。 保険金を目当てにした放火事件が頻発し、地下鉄は女性や子供は乗れなくなります。
ニューヨーク地下鉄内
 消費は極端に冷え込み、サックスやブルーミングデールなどの名門デパートも破綻の危機にさらされ、不動産王ドナルド・トランプは破産します。 90年に入ると、不動産融資の失敗から巨額の不良債権を抱えたシティバンクをはじめとした大手銀行が軒並み破綻の危機を迎え、日本の銀行に援助を求める事態に進みます。 バブル膨張期にアメリカの資産を買い漁る背景が作られていきます。

 強大な日本企業の前に、アメリカ製造業の衰退が顕著になり、各地の工場が次々と閉鎖され、街には失業者が溢れ、病的な社会現象が注目を浴びます。その代表がエイズと、ホームレス、連続殺人鬼です。

エイズの衝撃)
 AIDSはウイルス(HIV)が人間に感染することによって、免疫(病気を防ぐ)の仕組みが破壊され、様々な病気に感染、死に至る病として、突然、アメリカで登場します。感染スピードの速さ、死亡率の極端な高さが激しい恐怖を巻き起こします。最初、ホモセクシュアルの人達に多く発生したことから、不道徳の罪という認識が広がります。

 ホモセクシュアルは、アメリカでは70年代、ヒッピー・ムーブメントや社会的弱者への解放運動により、社会的な認知、つまり排斥するのではなく受け容れる方向に進んでいました。ホモセクシュアルは女装をするゲイと、女装をしないホモに分かれますが、ホモの中も美少年を求めるタイプと、そうでないタイプがあります。中でもハードゲイと呼ばれる革ジャンを着た筋肉盛り盛りのお兄さん連中が、パートナーを求めて専門のバーに集う姿は、見る者を圧倒する衝撃的なものです。アル・パチーノ主演のクルージングは、まさにその世界を現したものです。

林いず美「Photograph」


映画「クルージング」アルパチーノ                            Photo Japon 1984.6 Gay


 皆さんは芸術家というものを、あまりよく知らないでしょうし、ホモセクシュアルという問題は、あからさまに言われることはないので分からないでしょうが、通常の性とは違う性向は、Sexの問題以上に、抑圧となってエネルギーを生じ、特異なセンスを磨き上げ、文化の先導者という役割を負うのです。これはアメリカでも日本でも同じです。芸能の世界に異常性向はつきものといってよいのです。音楽にドラッグがインスピレーションの刺激剤になるのと同じような意味があります。
 ゲイ、あるいはホモ、レスビアンの芸術家達にエイズが発症します。著名なアーティストが、痩せ細り、エイズ特有のカポジ肉腫に覆われた身体を曝し、悲惨な最期を遂げ、その姿がTVで報道され、大きな衝撃を与えます。俳優のロック・ハドソン、ミュージシャンのクラウス・ノミ、フレディ・マーキュリー、画家のキース・ヘリング、写真家のメイプルソープ、哲学者のミシェル・フーコーが有名です。著名人のリストがWikipediaにありましたのでリンクしておきます。

「20世紀1986」講談社から

このポスターはエイズ基金と写真家スティーブ・マイゼルによって作られたもの

 AIDSは、すぐにホモではない普通の人にも感染者が現れ、しかも性的な接触ばかりでなく、体液を交換するキスは厳禁、それどころか電車の吊り革や、歯医者がエイズであったために感染することも出てきて、極端な恐怖が蔓延していきます。人類が滅びる恐怖が世界中に広がっていきます。売春や麻薬(注射針で感染)の街で猛烈な流行を見せ、東南アジアやアフリカで、猛威を振るっていきます。日本でもアーティストが変な死に方をするとエイズではないかと疑われました。
 アメリカの話ではないですが、私が最初にパリに行った1975年頃は、有名なムーラン・ルージュのあるピガール広場の夜は、着飾った売春婦が、びっしりと道路を埋め尽くし、実に派手、華やかでした。それが二度目、AIDSの騒動が一段落した後、広場には人っ子一人立っていませんでした。暗い夜の広場でした。数日後に男達がゾロゾロと歩いていくのを見て、どこに行くのだろうと、ついて行った所、暗い壁際に黒人の女など半裸に近い格好で客引きをしていました。売春は、密かな暗がりで行われる、惨めさが漂う世界に成り変わっていたのです。


(ホームレス)
 不況の中で、職場を追われる人が続出します。住む家もなく追い立てられた人々が路上生活者に落ちていきます。彼らはホームレスと名づけられます。豊かな国のアメリカで、それ程、貧しい人々が大量に出てきたことが、大きな衝撃で迎えられます。子供を連れたホームレスも、たくさん、見られました。まるで大不況時代のようでした。ついこの間まで大企業に勤めていた人が、教会で出される炊き出しを頼りに生きるところにまで追い詰められていました。

北島敬三「NewYork」 

立木義浩「My America」
 この写真に見られるニューヨークのサウスブロンクスなどの黒人ハーレムに普通の人が入り込むのは極めて危険とされていました。強盗は当たり前で殺されなかったら良しとするほどのものがありました。

(連続殺人鬼)
 Serial Killerと呼ばれる連続殺人鬼は、快楽殺人とも、劇場型殺人とも呼ばれ、最初はアメリカの病理のようにいわれましたが、すぐにヨーロッパでも、日本でも現れるようになります。猟奇性は、強い関心を引き起こし、連続殺人犯をカリスマに引き上げていきます。70年代初めに起きたチャールズ・マンソンによるシャロン・テート殺人事件が、スーパースターのように、甦ってきたのです。
 エドゲインは、「悪魔のいけにえ」、「羊たちの沈黙」などのモデルになったといわれています。また、36人を殺したとされるテッド・バンディなど、驚くべきほど多彩な顔ぶれなのです。詳しくは、プロファイル研究所で。まぁ、本題とは関係ありませんが、死刑になる前に何を食べたかという紹介にテッド・バンディが掲載されていたので載せておきます。

   
連続殺人鬼テッド・バンディ           エド・ゲイン


 アメリカはこれらにより急激に治安が悪化していきます。中でもニューヨークは全米でも指折り数える不穏な地域になり、夜、女性は一人では歩けない。アパートのドアを開けると強盗が侵入する、保険金目当ての放火が相次ぐなどが起きてきます。この治安が回復するのはジュリアーノ市長の時代、90年代も終わりになります。
車に乗っていていきなり刺された男性
縛り上げられ顔面をピストルで撃たれた男性
アサヒグラフ 1982.10.22
 この曲は1984年のヒット作で、ベトナム帰還兵を歌ったものですが、この時代のアメリカの気分を謳い上げており、ブルース・スプリングスティーンを国民的歌手に押し上げるものでした。
Bruce Springsteen :Born in the USA

以下はニューヨーク市警の野口史郎氏の撮影写真。

写楽81.3

 ソ連崩壊の後、アメリカCIAは、既にソ連は敵ではない、日本こそアメリカの最大の敵だというレポートを提出します。しかし、日本は、その報道に接してもなんらの手を打つこともなく、傍観し、やがてマネー敗戦に向かっていくことになります。私らがアメリカの敵であるわけではないではないかという、誤った認識が、大きなツケを払う羽目に陥るのです。
 もう一つ注意していただきたいことがあります。ソ連の崩壊は資本主義の勝利、中でも超大国がアメリカ一国になったことでの恐れと反発です。ポスト・モダンの論客の多くが、驚くべきことに左旋回していくことです。我が国のポストモダンの論客らもそうでした。ここにバブル崩壊以降に、急速に強まる自虐史観と日本衰退論の芽生えがあります。我が国のポストモダン論者は、「幻の黄金時代」にも書きましたが、はぐらかしや論点ずらしを得意としました。この知的誠実さを欠いた態度は、マスコミの偏向や腐敗を惹起していくことになります。世界的にも、最低レベルといわれるマスコミの知的堕落の一端を彼らに負っていると私は思います。