金余り〜地価高騰へ〜

 そのころの私のポジションはバブルとは縁遠いいものです。過去の仕事を見ると、バブルが終わった後に、自治体からリゾート開発や都市開発で、どうにもならなくなった事案について、何とかならないか、と相談が持ちかけられ、相変わらず、客のニーズを無視して本音しか言わないものですから、「無理です」と言って不評を買う、そんな感じです。

 リゾート法や国土庁のレポートについて、発表の当初は、目端の利く一部を除けば、関心は低くく、そうなんだ程度です。不動産の売買なんてのは、ほんの一部の人しか関係ない。地上げの対象になった人々は、嫌が応もなく巻き込まれていくことになるのですが。

 好景気というのは、ゆっくりと気温が上がっていくようなもので、冷える場合も、一気に冷えるのではなく、余熱が残ります。特にバブル景気のような、非常に高い温度まで上がると、冷めやらぬ熱気が、幻想を抱かせ、また、暖かくなるのではないか、すぐに熱い季節に戻るのではないかと思い、傷を深めていくことになります。
 バブルが崩壊した後、この不況は10年続くと言った評論家がいましたが、当の本人さえも10年続くとは思わなかったでしょう。


ハウステンポス

 地価の高騰の前に、旺盛な企業の投資意欲が先行します。金余りが規制緩和の中で始まっています。これも膨張する貿易黒字対策であり、アメリカの要求に従ったものが多かった。金余り現象について詳しく書いたHPがありましたから、参考にしてください。転換社債やら、増資だけで87〜89年に38兆円の金が企業に流れ込んでいったと書いてあります。http://www.hi-ho.ne.jp/takayoshi/kyoko/heisei2.htm保管用)企業の資金調達は国内だけではありません。92年、バブルの頂点は既に過ぎた時点ですが、大蔵省の調査によれば、企業の資金調達額は国内金融市場から3兆8千億円弱に対して、海外金融市場からでは5兆8千億円強にのぼった、つまり海外からの方が大きかった。これがバブル崩壊以降、企業を苦しめ、国がいかに資金を注ぎ込んでも、企業は借金を返すことだけで手いっぱいが長く続く要因にもなります。

 当時の銀行の様子を住友銀行青葉台支店長(出資法違反で逮捕)は『昭和60年(1985年)頃から銀行の体質がガラッと変わりました。預金を集めても評価されなくなった。月額目標1千万円、2千万円のノルマを与えられてアクセスしていたのが嘘のようでした。評価されるのは高い金利で金を借りてくれる得意先を見つけてくること。バブル当時、上司が「限界利益を目指せ」と、ハッパをかけていました。塀の中に落ちないギリギリのところに本当の利益のチャンスがあるというのです』(伊藤博敏「金融偽装」から)。

 エクイティ・ファイナンスによる企業が紙幣を刷るような感覚で溢れ出る膨大な資金が、輸出の好調を背景に、どんどん設備投資を行い、世界の工業製品の半分だったか、1/3を我が国一国で生産できる規模にまで達するのです。工場用地から始まった土地の取得は、次第に物流施設や営業所などの事務所スペースにも及んできます。企業の好景気は商業施設に飛び火します。銀座や赤坂などの都心部から始まり、急速な勢いで周辺部に広がっていきます。地方都市でも県庁所在地、特に政令指定都市である大阪、京都、名古屋、福岡、仙台、札幌に広がり、その周辺を巻き込みながら、嵐のように上昇過程に入っていきます。
 地価の上昇は、当然のように供給を増やします。上がっているなら売ろうという人が出てくるからです。しかし、その供給をはるかに上回る需要、投機目的に、初めは玄人、次いで法人、最後に素人が参入します。 しかも、金融機関が湯水どころか、企業に出向いて金を借りてくれませんか、こういう物件、こういうプロジェクトで必ず儲かりますと売込みまでする。金が異様なまでに軽い、コピー機で刷るような感覚でほとばしり出る事態に、銀行はアクセルを入れるのです。
 こうなると、無関係と考えていた人達も、欲に駆られて不動産売買に関わっていく状況になっていきます。1億総不動産屋といわれたこともあります。
そしてリゾート開発です。地方でも巨大な金が動き出します。地価高騰の波は東京を基点にして北上を開始し、福島、仙台まで達したところで崩壊に直面するのです。


ホテル川久(和歌山県白浜 91年開業、95年破綻 以後、買収)

 もう一つ付け加えておかないといけないのは民活です。86年に成立する民活法(民間事業者の能力の活用による特定施設の促進に関する臨時措置法)です。廃止は2006年ですが、97年くらいには、民活利用は終息していたでしょう。この法律が自治体による大型プロジェクトを計画推進させる原動力となったことです。ここらについては中山徹「行政の不良資産」に、東京と大阪を例にして書かれています。
 元々は財政再建と行政の効率化を目指して公共事業を行うという趣旨でしたが、バブル景気の中では、民活という名前さえ付けば、いかにそれがいい加減な予測に基づいていようとも、民間が損を被って、行政に負担にならない"はず”という、実に今から思えばとんでもないことをやってしまうことになります。
 リゾート開発や都市開発に膨大な予算が貼り付きます。その例の中でも大規模なものが東京の臨海副都心開発(いわゆるお台場)であり、大阪のりんくうタウンです。臨海副都心は85年に将来への通信需要に対応する東京テレポートセンター構想から、86年には東京が国際金融市場としての役割が期待され、24時間ビジネスが行われる世界都市への発展するためにはオフィスの供給能力を高める必要がある=副都心を建設しなければならないというロジックの基に、臨海副都心構想に模様替えしていくことになります。東京テレポートセンター当時の開発計画は40haでしたが、87年の基本構想では11倍の440haに膨れ上がり、91年の総事業費は8兆から10兆円と積算される至るのです。その額は87年に比べても2倍になります。
 バブルは崩壊しても、計画は推し進められ世界都市博開催に向けて突き進み、鈴木知事の落選、青島知事の誕生で都市博の中止が決まるということになりました。地価の下落と入居者難で、砂漠のような光景が長く続くことになりました。
 一方のりんくうタウンにしても、関西国際空港の開業により、大阪湾ベイエリアを「国際交流のフロンティア、情報化・国際化に対応した世界の最先端ゾーン、新しい文化・文明の創造の場」として構想されたことです。当初、21万uと構想されたものが、160万uに膨張することも同じです。バブル崩壊以降、計画はガタガタになり、予定された企業は入居しない、事業から撤退し、一挙に不良資産化していくことになり、東京にしても、大阪にしても不良資産の処理に長く苦しむ結果になりました。民活という甘い夢は消えたのです。

りんくうタウン計画図