Walter Front ウオーター・フロント開発

 ウオーター・フロント開発は、私の職業に関わる部分でもありました。地域開発は当時のリゾート開発と並ぶ主要な議題だったからです。この始まりは、またしてもアメリカです。アメリカ・ニューヨークのサウス・ストリート・シーポートの裏寂れた港湾地区の再開発事業として、港の倉庫群を利用した芸術家のアトリエなどを誘致し、そこに集まる若い芸術家達を中心に、新しい感性を持ったショッピング・モールや飲食店街を構築するというものでした。

South Street SeaportについてはWikipediaから。
 18〜19世紀の古い建造物が集まっているイースト川沿いのこの地域は1977年にニューヨーク歴史地区に指定され、ラウス社がニューヨーク市、サウス・ストリート・シーポート博物館と協力し、再開発を手がけました。1983年にオープンしたプランAはフルトン・マーケットを中心とする地域で、「ニューヨークの新名所」といわれながらも今ひとつ盛り上がりに欠けていました。 テナント間の売上格差が激しく、一時は賃貸料の割引やテナントの入れ替えなども必要とされましたが、1985年にプランBのピア17がオープンしてからは集客も増え、この地域全体の人気・売上も安定し、今ではニューヨークの中で最も人気のある場所だとも言われています。 クリスマス・シーズンの「唄うコーラス・ツリー」でも知られています。
開発以前のニューヨーク港

開発プラン




 港湾地域の再開発事業で、もう一つ注目されたのはサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフでした。歴史的な背景を利用して、寂れた港湾地域に、シンボルマークを作り、ショッピングセンターや従来からある記念館などをブラッシュアップし、新鮮な魚介類を目玉にしたレストラン群で、一体的なイメージを構築して、観光客を惹きつける手法はニューヨークとよく似ていました。多くの人々が集まれば、それが一層、商業地として活況を迎えるものです。

ボストンのクインシーマーケット

 この地域開発の手法、ウオーターフロントは、我が国では丁度、バブルが始まる頃でありましたので熱狂的に迎えられます。特に寂れた港湾地域の活性化には新たなマーケットという事で巨大な金が動き出します。1981年に神戸市の人工島・ポートアイランドと、倉庫街や貨物駅といった古い港湾施設の再開発によって誕生した神戸ハーバーランドが最初のモデルになります。
神戸ポートアイランド

以降、首都圏では、東京の佃島・天王洲・お台場・有明・汐留・葛西、横浜市のみなとみらい地区、千葉市の幕張新都心(海浜幕張)などの再開発が行われた。芝浦の空き倉庫を利用したディスコやライブハウス、浦安市の東京ディズニーリゾートなども人気を集めた開発の一つである。バブル景気の崩壊前、一時期は「ウォーターフロントブーム」とも言われます。かの巨大ディスコが何故、芝浦にできてきたのかは、ウオーターフロント開発に連なる話題です。当時の芝浦は倉庫街の再開発に積極的に取組み、スタジオ、画廊、ブディック、デザイン事務所などに格安の家賃で倉庫が貸し出され、それまで行き交う人といえば港湾労働者などで人影もまばらだった地域に、突然、人が溢れ始めたのです。しかもお洒落な若い男女だったのですから、仰天するような話です。



幕張メッセ
佃島
天王洲アイル
お台場
横浜みなとみらい地区
 大阪では、天保山ハーバービレッジや南港の咲洲、USJにみられる港湾地区の開発のほかにも、水の都といわれるように都心に河川が通るため、湊町リバープレイス・大阪アメニティパーク・大阪ビジネスパークなど、河川沿いの開発のほうが多い。もともと、川沿いにある中之島とその周辺地区で、阪大病院跡の水都・OSAKA α プロジェクトにみられる親水に注目された再開発が注目を集めます。
 また、名古屋では、ガーデンふ頭や金城ふ頭、福岡市百道(ももち)にあるシーサイドももち、神戸市の六甲アイランドやHAT神戸、高松市のサンポート高松などがあります。

 天保山ハーバービレッジ
大阪ATC

 ウオーターフロント開発には行政も積極的に取組みます。東京の湾岸の開発よりも、地方の開発の方が先であったかもしれません。その代表が釧路フィシャーマンズワーフの建設です。アメリカの再開発の手法をそのまま採り入れたものです。オープン当初は全国から関係機関、会社の人間が見学に訪れます。もの珍しさもあって当初はかなり盛況だったと聞いています。これはバブル時代のリゾート開発やテーマパークと同じ運命をたどっていくことになります。何より釧路という北海道でも辺境は言い過ぎですが、あまりにも遠く、周辺人口の少なさもあり、膨大な赤字を出します。釧路市も資金を注ぎ込んでいますが、経営は厳しいものになります。釧路ほどに頭からフィッシャマンズワーフとは名乗らずに行ったウオーターフロント開発は各種あり、北海道では函館が有名です。



お台場、みなとみらい、南港などのバブル景気に乗って実際の需要以上に巨大化させた都市計画も多く、各自治体の債務増加と財政悪化を生み出す結果になります。(この稿はWikipedia
昭和61年(1986年)の東京湾国際文化圏構想などは、まさにバブルへの橋渡しをしたといえるかもしれません。そして日本とは思えないアメリカの都市のような光景が広がっていったのです。バブルに沿って湾岸地区の開発を進めた鈴木都知事は、93年世界都市博で、不況の突入によって低迷しつつあった臨海開発の起爆剤としようとしますが、青島幸男に阻まれ、晩節を汚すことになります。



 ウオーターフロント開発と並んで、この時代に海外を巻き込んだ巨大開発構想が出てきます。それが環日本海経済圏構想であり、もはや今では誰も言わなくなった環黄海経済圏構想です。まぁ、バブルですなぁ・・。

環日本海経済圏構想
 環日本海経済圏構想の面白さは、地図を逆に見ると、日本が大陸から張り出した弧状の島群で、日本海が内海のように見えるという着眼点でしょう。ロシア、北朝鮮、中国を内包した経済圏をぶち上げた人がおりまして、壮大なスケールとある種の汎アジア主義的な雰囲気がもてたんでしょう。まぁ、今でも根強い運動が続いていますから、まぁ、このくらいで。



環黄海経済圏構想
 こちらは中国、韓国、北九州を結ぶ経済圏構想です。こちらには仕事の面でも関わりがないのでよく分かりません。


 その他、沖縄を中心にした中国、東南アジア地域と日本を結ぶ構想があり、沖縄の仕事で話を聞いたことがあります。沖縄以外では構想としては広がりがなく、バブルが崩壊した後は、そういう取組みの考え方もあるな、という程度になりました。