投機〜東京都湯沢町〜


新潟日報報道部は、1988年(昭和63年)、新潟県湯沢町の急激な変貌に危機感を抱き、取材チームを編成、88年12月から、89年6月にかけて、新聞紙上で特集記事の連載を行います。題して「東京都湯沢町」。 この連載は日本新聞協会賞を受賞し、単行本になって発行されました。

まずはデータから。1988年に全国で売り出されたリゾートマンションの総戸数は11,564戸、その1/3以上の3,912戸が湯沢町に集中したのです。その突出した建設ラッシュは80年代に入ってから猛烈振りを発揮します。この本の出版された当時、計画された総戸数は83棟、22,700戸に達するとあります。2006年段階では、58棟、14,695戸、総面積937,636uに達するとありますから、さすがに全部は建たなかったけれど、その凄まじさは変りません。その計画を本から。

地区 マンション名 完成・予定 階数 部屋数 事業者 施工者
苗場 西武ビラ7号館 1985年 13 370 西武不動産  西武建設
  同  8号館 86年 4 76
Prive Naeba 88年 8 16 個人 大日本土木
エールプラザ苗場 89年 13 106 リクルートコスモス 新井組
ファミールヴィラ苗場 89年 13 222 丸紅 大成建設
苗場リゾートマンション 90年 14 240 パレス不動産 鉄建建設
岩原 シャーレ湯沢 86年 13 169 東京住邸 北野建設
ラ・ベルビニ 86年 5 27 ユザエンタープライズ
ホワイトプラザ湯沢第1 86年 11 126 佐工不動産 佐藤工業
ピステユザワ 87年 10 133 東急不動産 鹿島建設
エクストラクラブ岩原 88年 14 121 協和観業 村本建設
セシーズ湯沢 88年 13 121 サン都市開発 大日本土木
エンゼルリゾート湯沢 89年 9 130 日栄建設工業 日栄建設工業
スポーツメント湯沢1 89年 13 282 ダイカンホーム 森下組
ファミールヴィラ越後湯沢第2 89年 14 480 丸紅 他 間組
シルバーグレース一番館 89年 13 108 個人 村本建設
越後湯沢プリンスハイム 89年 13 261 アサヒ恒産 東鉄工業
ロイヤルプラザ越後湯沢 89年 12 254 エージェックセブン 大成建設
セザールリバーサイド湯沢 89年 12 132 セザール 西武建設
パノラミック湯沢 89年 15 487 日本企画設計 五洋建設
岩原駅前リゾートマンション 89年 11 249 力建
チェリス湯沢 89年 8 103 住建不動産 住建建設
スターシオン湯沢 89年 13 205 プランニングジャパン フジタ工業
プレジール湯沢 90年 11 313 鹿島建設 他 鹿島建設
中里 ホワイトプラザ湯沢第2 89年 13 173 佐工不動産 佐藤工業
松川橋リゾートマンション 89年 14 160 佐工不動産 佐藤工業
湯沢 ライオンズ1号 85年 15 187 大京 吉原組
 同    2号 87年 15 377 大京 吉原組
シャルマン湯沢 87年 9 89 サンプレデン産業 熊谷組
スポーリア湯沢 87年 13 222 ダイカンホーム 森下・奥村組
ファミール湯沢 88年 13 224 丸紅 大成建設
伊太利屋越後湯沢リゾート 89年 14 176 ユーザ伊太利屋 吉原組
ライオンズ3号 90年 14 299 大京 吉原組
石打 ツインタワー石打 90年 17 550 パシフィックアトラス 鹿島・西武建設
ライオンズ石打丸山 90年 16 678 大京 間組
ピステ石打 90年 15 401 東急不動産 新井組

資料:新潟日報報道部「東京都湯沢町」 1985年以降のみ。

見事なまでのバブル組が並びます。ここにはまだ、32階建ての威容を誇るビクトリアタワーが含まれていないのです。90年以降も続々と建設され、この表でも見れるように、年を追うごとに大規模化していくのです。何故、湯沢だったのかというと、関越自動車道、上越新幹線という首都圏からのアクセスの良さ、周辺に20箇所以上のスキー場、そして温泉。スキー・ブームが後押ししたことは間違いありません。

さて写真で湯沢地域のリゾートマンション群を見てみますか。ビルだけを見ると都心部のようなので周りの景色が写っているものを選びました。マンションの名前は皆さん、探して下さい。いづれも今も販売されています。

ビクトリアタワー 

 
                          グランドウイング舞子高原


 

都心部のマンションが高騰して庶民の手の届かないレベルになったから、2000万円でマンションが買えるというので、サラリーマンが都心部に比べての割安感で飛びついたという話もありますが、リゾートマンション・ブームは圧倒的に投機目的でした。
この当時のエピソードに、こういうのがありました。

@まずマンションをローンで2部屋買う。
A約2倍に値上がり後、1部屋を売る。
B売った金でローンを払う。
C結局、ただでマンションが手に入る。

恐ろしくバブリーですが、こんなことが本気で行われたのだから、バブルは恐ろしき。

バブルが弾けた後、入居者がいない巨大な白いマンション群は、墓標のような姿を呈します。当時の週刊誌には越後湯沢駅から見える主無きマンションが報道されていました。

 
モデル・ルームの案内看板だらけ                  明かりが入っている部屋はわずかな土曜日
資料:新潟日報報道部「東京都湯沢町」

 湯沢と言えば、俳優の加山雄三がバブル時代に作ったスキー場(加山キャプテンコートスキー場)がありました。湯沢町の特別観光大使までも勤めていましたが、随分、金を投入したようですが、2011年に倒産しました。本人の話では20億円をつぎ込み、一度として黒字にならなかったそうです。