投機〜土地:買占め・地上げ〜
 「赤信号、皆で渡れば恐くない」はタケシの有名なギャグですが、投機の場面で、これをすることが如何に馬鹿げたことであることかが分からないのがバブルの時代です。 戦後、土地というのは非常に特殊な資産でした。絶対に下がることのない、インフレ、物価の上昇の何倍もの勢いで必ず上がる資産だったのです。ある人に言わせれば神代の昔から土地は騰がるものであったのです。サラリーマン達にとって、一家の長たるもの、土地を購入して一軒家を建てるのが、庶民の夢、男の甲斐性であったのです。 下の図表は別冊宝島「実録!不動産のウラ」、森哲志「ジャパニーズドリームは狂っている」に掲載されたものです。借金してでも土地を購入することが、一生を見れば何倍も有利であるかを示したものです。


 バブル期に突入した87年、1年間で全国の土地の価格がほぼ倍になると言う異常事態になります。当時は時間単位で価格が上昇していったと、バブル期の不動産屋の話が、我らがバブルの日々に掲載されています。完全な投機です。住むためでも、利用するためでもなく値上がりを見込んだ投資。しかも買った土地やマンションを担保にして、より大きな金で次の投資、土地やマンションを買い漁る。いくらでも客がいたと証言しています。 土地の投機を先導したのは、東京でしたが、東京の値上がりが止まってきた後は、関西でした。関西国際空港や大阪湾ベイエリア開発など大型プロジェクトが目白押しで、土地収用や建設から投機資金が集まり、土地の価格は数倍、十数倍に跳ね上がり、裏社会の人間達が暗躍します。

 その金はどこから湧いてきたかといえば当然のごとく銀行です。85年から89年の5年間に銀行が100兆円以上の資金を不動産関係に融資し、この結果として4〜5百兆円だった日本全体の地価が、一時期、2千兆円を超えます。東京23区の土地の価格とアメリカ合衆国全体の土地の価格が同じだと言われた時代です。
 1坪が1億円の値段をつけたのは銀座ばかりではないのです。地上げをやっている人間は現金取引ですから、ジェラルミンの棺桶のような箱で銀行員に持ってこさせる話があります。地上げの大物は1ロットが10億円、1つ、2つが10億、20億、そういう取引だったそうです。

 銀行は顧客である企業に財テクを勧め、専門の部署を作ることを推し進め、そこに銀行員を送り込み、恐るべき勢いで不動産売買のための金を貸し込んだのです。立ち退きを渋る、拒否する住人に対して「地上げ屋」と呼ばれる強引に、札束を目の間に積上げ、札束で頬を張る形で買収が進められていきます。巨大な商業ビルやオフィス・ビルの開発が進められ、古くからあった長屋や駅前商店街が次々と地上げにあって潰れていきます。立ち退かない人々により、歯抜け状態になった土地に、暴力団を使った強引な立ち退きが社会問題になります。食事しているところにダンプ・カーが突っ込む、パワーシャベルで強引に壊す、放火騒ぎも起きます。

  
周辺を買い占められた歯抜け状態の土地                      地上げの立退き公告


港区南青山骨董通り  88年                        結局は売られて商業ビルに変わった91年の写真

 土地の高騰は殺人事件も引き起こします。杉並区方南に住んでいた82歳のお婆さんが、持っていた78坪の土地が値上がりで4億円を超える資産と評価され、それに目をつけた不動産業者<地面師>が、自分の愛人をお婆さんのアパートに入居させ、お婆さんに親切にし、取り入り、信用させ、長期入院していたお婆さんの娘に、別の共犯者(殺される)と偽装結婚をさせることで、まんまと資産を手に入れ、お婆さんが、土地の売買に気づく前に殺害したというものです(杉並資産家老女殺人事件)。単なる地面師による地上げではなく、集団で役割を分担して被害者に近づき、法律を使って財産を奪い、邪魔者は殺すという形の、相当に巧妙で時間をかけた方法で司法書士や弁護士などを含めた長い時間かけて磨かれてきた手口と「司法の窓口」で書かれています。


 92年頃にアメリカに行った時、中西部をバスで移動していたら、丘の上に大邸宅が見え、丘全体がその富豪のもので、当然、プール付きの、イチローが購入したような豪壮な家でした。ガイドさんが、あの家が1億5千万円ですよ、凄いでしょうと言ったら、隣に座っていた友人が、俺の家も1億円なんだけどなぁと、口の中でブツブツしていました。彼の家といえば、町田の住宅街の総二階というと、ちょっと良い感じもしますが、庭もほとんどない、どうということもないモルタル作りの家であったのですから。


 地価の高騰により、庶民の怨みに満ちた声が広がっていきます。都内に住宅を建設することは夢物語になったからです。一戸建てはもとよりマンションも当時、東京では平均でも5千万円を超えており、サラリーマンの平均年間所得の7,8倍に達していました。諦めた庶民の、特に若い層は家を買うよりも、車や旅行など他の消費に目を転じ、刹那的な消費に向かっていきます。高額所得者ランキングは、土地の売買で得た地主達が、これまで事業による成功者を押しのけて上位を独占します。不労所得の巨額さが、普通の人々の怒りを強めます。政治の場でも議論が沸騰していきます。これがバブル崩壊時に住専への資金投入に激しい反発が起きる要因にもなります。

 大型の土地物件を求めて、不動産屋を中心に狂奔していきます。地上げには暴力団の幹部、企業舎弟ガ暗躍していきます。一瞬でぼろ儲け、凄まじい金が転がり込んでくるのですから、血眼になります。銀座銀一ビルの地上げには、イトマン事件で名を馳せる伊藤寿永光の名前が出てきます。戦後の裏社会で活躍したすべてのメンバーが、裏で動き、そこに新参者も殴りこみを懸ける、バブルの輝ける光の後ろでは、どす黒い闇の世界で魑魅魍魎が動き回っていたのです。例えば赤坂の一等地で多くの死者を出したホテル・ニュージャパンの跡地は、時価3000億とも、4000億とも言われ、リタイアを噂された横井英樹までもが動くという怪しげな話が飛び交っていました。

 大型物件で世間の耳目を集めたものに新橋周辺でNHKが所有していた土地の売買があります。数千億円の金が動き、次の大型物件汐留め跡地の処分に世間の関心が向っていきます。
 当時、国鉄の貨物操車場があった汐留には7兆7千億円という途方もない価格がつきます。旧国鉄の37兆円に上る累積赤字の償却を進めたかった政府は、垂涎の物件だったのですが、土地の高騰を煽るものだという批判が強まり、汐留の売却をペンディングせざるをえなくなります。そうこうしている内に、バブルは崩壊、汐留の再開発は、10年先に繰り延べられたのです。最終的な販売金額は3723億円とバブル期の1/20にしかなりませんでした。

汐留の貨物操車場 右の公園は浜離宮
昭和34年  昭和40年
再開発前

再開発した汐留

 そしてやってきたのは凄まじい暴落です。誰もが信じられない光景でした。下の図はエンドウアソシエイツ「これからのマンションづくり」に掲載されていた「バブル以降の東京都の土地価格の推移」からのものです。