投機〜株:暴騰/暴落〜


 株の話は、よく知られるところですが、私なりの感想を述べておきます。

 バブル時代を象徴する出来事といえば、87年2月9日に日本電信電話公社の民営化に伴いNTT株を政府が放出したときの騒ぎででした。売り出し価格119万7千円の募集に対して、購入希望が殺到、一人1株に制限された抽選!!まで行って、初値160万円。4月には318万円の最高値をつけます。写真のように刻々と変わる株価に、70万人といわれた一株株主は一喜一憂。
 しかし、4月以降は二度と最高値を超えることなく、地滑り的な下落に見舞われていきました。しかし、まだ株高は終わってはいません。上る期待で多くの投資家は手元に保持し続けます。



 バブルに向かって株価が上昇していく局面は、87年10月19日のブラックマンデー、ニューヨーク市場の暴落から始まったと言えます。全世界が暴落の影響で恐慌の再来を恐れた時、東京市場だけが踏ん張り続け、恐慌の防止になったと同時に、日本、強しの印象を世界的に広め、国内的にも過剰な自信に繋がり、不敗神話のように作用し、株価は大きく上昇していきます。
映画ウオルストリートより
 「バブルアゲイン」の中で当時、山一證券に在籍していた伊藤さんの話に、サスペンダーの話が出てきます。87年に公開された「ウオル・ストリート」という映画の中でマイケル・ダグラスの演じる株屋がストライプのワイシャツにサスペンダーをしていて、格好良い、ということで兜町の証券マンの間で大流行したという話が出てきます。局地的な流行ですが、なかなか面白い。アメリカの株屋の暮らしぶり、移動は自家用ジェット、趣味は海外美術品の蒐集、加えて金髪のお姉さんを常時、はべらすお暮らし。まさにバブリーそのものを、証券マンの多くが憧れ、実践したのです。まぁ、できた人がいたのかどうかは知らないですが。

 ピーク時は上場会社で千円を割る会社を探すのに苦労するほど、全面的な株高にあり、証券会社は史上最高の利益を欲しいままにしていました。特に銀行、不動産株の金融株は我が世の春、世界市場に向けて、金融商品の取引のため、豪勢なディーリング・ルームをオープンし、高度な数学的な知識を必要とする金融工学への取組み、中でも、1950年代にハリー・マーコウィッツが示した現代ポートフォリオ理論、1970年代にフィッシャー・ブラックやマイロン・ショールズらによるデリバティブの価格理論、Harrison、Kreps、Pliskaらによる確率同値における無裁定性と均衡などを理解するために理数系の大学生やエンジニアを大量に雇用していきます。私の友人にもいました。
 
体育館とも称された巨大ディーリング・ルーム

 しかし、その実態はノルマに追われる営業の姿であり、外資系の金融機関から、日本の金融機関は現物取引しかできない、先物のチャートを見る力の欠片もないと、せせら笑われていました。金融のノウハウもなく、皆で渡れば恐くないを繰り返し、後から強烈なしっぺ返しを食らう準備が整えられていたのを知らなかったのは、我が国の金融機関だけだったのでしょう。
 株を利用したファイナンスが、一般にはこれまで注目されなかった企業に急に光が当ったりします。阪和興業がその代表例でしょう。サンリオも社長が株が好きだったものですから、株の売買で得た利益が本業を何倍も上回ったりしますが、ほんの2、3年のことで、バブル崩壊後、その清算には10年以上の年月を、非常な苦しみの中で味わうことになってしまうのです。

 ピークは89年年末、3万8915円で、やがて5万円になる、評論家の中には10万円になるとまで言った人も現れるくらいでした。かつて200兆円だった時価総額がこの時に600兆円までに達します。
 上がる上がると囃し立てた後に、地滑り的な崩壊がやってきます。それでも当初は、強気の相場が長く続いたことから容易には方向転換できずに、下がった局面では買い場を訴える人もいましたが、信用取引の追証、損きりで売りが売りを呼び、どんどん下げていきました。
 加えて株の取引がらみでスキャンダルが噴出します(スキャンダルの大盤振る舞いを参照)。大手証券会社のすべてで、大口投資家には「飛ばし」で損失を補填していたという実態やら、暴力団がらみの株価操作などでした。我が世の春を謳歌した証券会社は一転した地獄を味わうことになりました。バブル時代に法外なボーナスを得て、とっとと辞めた証券レディが一番、得をしたのかもしれません。

 バブル崩壊後、小渕、橋本政権下で必死の景気対策、膨大な公共投資の注入で株価を維持する努力が行われますが、円が対ドルで80円を割り込む金融敗戦の中で、圧し掛かる不良債権、ゼネコンなどの債務超過により、金融恐慌への予感、日本発の世界恐慌への不安が大きな影を落としていきます。破綻が相次ぐ97年、98年ころには株価が100円を割り込み、額面さえも割り込む上場企業が数十社にも及び、まさに日本市場崩壊の様相を呈していた。

 この間のバブル相場の経験者の話が掲載されていました。参考までに保存版