(1)行政と市場経営

(管理統制から投資回収へ)
 現在、全国にある大規模市場の多くが地方自治体によって建設あるいは認可を受けたもので、地域内で独占的な立場を持っていますが、これだけ通信、物流機能が高度化してくると、地方自治体の行政区分がマーケットと齟齬をきたしており、時代遅れのものになっています。本来、民営市場であれば、マーケットの変動に合わせて立地が変わっていくもの、機能が変わっていくのですが、行政による独占が、これを阻み、市場の非効率性が問題になっている状況です。
 大局的にみれば、市場の組み換えを実施すべき時が、来ていながら、行政の対応がまったくなされない為に、市場の価値そのものが、まるで無用の長物のような言われ方をしています。建値市場は別にすれば、各市場は流通拠点としてマーケットに合わせて再配置していくべきで、イタリアなどに見られるように、半官半民の市場運営会社を作って、全国の市場の改廃、新市場の建設を行っていくべきなのです。無用だから全部、壊してしまえと言うのは、あまりにも乱暴で、市場の持っている生産者や消費者の生活を支える機能を無視した話です。
 市場の運営に統制以外のコンセプトを農水省も地方自治体も持ち合わせておらず、いったい何故、市場を運営しなければならないかも分からなくなっている現状があります。そして改廃や建設に関して、ノウハウがない、特に新市場については旧態依然たる、それこそ昭和30年代に作られた建設マニュアル以外にはないというお粗末さが、市場の非効率性、コスト高、現代流通が要求する品質水準に及ばない現状を示しています。これでは市場が赤字になるのは当然で、新市場であればあるほど市場業者の経営が困難になると言う皮肉な結果をもたらし、市場衰退に拍車を駆けるという情けない現状があります。

 市場を経営する立場からすれば、現在のように取扱額に比例した料金徴収は、取引内容を監査することを前提としたもので、卸売業者の経営の変動が市場経営に直結、響く現状から、安定的な収入を得る、不動産業として徹底すべきです。

 不動産業としての価値は、周辺の開発に関わっている訳ですから、その面から道路や上下水道、公園、住宅などに投資を行っていくのが当然です。そして市場経営者として不動産の価値、つまり正当な地代が払えない業者には出て行ってもらって新たな業者の導入か、市場以外の施設に転用していく形が望ましい。それが資本主義の論理であって、市場だから、生鮮品の供給基地だからと言って特別扱いする理由は、どこにもないのです。生鮮品の流通にそれだけのコスト負担に耐えられないとすれば、現在の流通形態が合理性を欠いたものであることを示しており、別の場所に移動すべきです。

 ここで地代と言っているのは、市場施設は基本的に市場関係者が独自で整備すべきものと考えるからです。市場経営者が流通施設を建設する考え方は、市場経営者が市場を中心とした流通に、熟知し、将来を見通せる判断力がなければ不可能であり、望むべくもない問題です。

 市場経営者は市場内部を規制することではなく、競争原理を持ち込むことです。荷受と仲卸に分ける、合理的な流れを作ることではないのです。場内道路だけを整備し、出入り口に近い方は地代が高く、奥に行けば安い、それだけで充分です。秩序を作る以前に、誰が高額の地代を払って借りられるのかの方が問題です。それだけの価値ある仕事をしているのかが問題なのです。
 無秩序になるじゃないかと言われるかもしれませんが、築地市場にみられる既得権益は、公共の場を占拠するところから始まっていることを理解しなければなりません。自分が借りている場所にお客さんでもないのに金も払わずに車を駐車できると思いますか。社会主義的なイデオロギーが、それに付け込む業者を生み出すのです。地代だけを取る流通団地では絶対に起きないことが市場では起きていることの方が問題なのです。

 市場の評価が問題になるのは、一に、市場経営の赤字、投下資金の未回収にあることは間違いありません。行政は生鮮食料品の流通は分からないのだし、物価が上昇して住民が悲鳴を上げている状況には、当分、起きそうもないのだから、流通に介入するのではなく、あくまで雇用の創出、商業の振興の、一つの手段として市場があると考えるべきです。

(市場の繁栄)
 市場の繁栄というテーマに関心があるのは市場関係者のみであることを認識として持つことからはじめる必要があります。他の関係者、生産者にしろ、買受人たる需要者にしても、繁栄より何より、自分達にメリットがあるかどうかでしかありません。そして市場内部で取引をしている人達にとっても、実のところは自分達の商売が巧く回ってさえいければ、市場の繁栄は関係ない部分が相当にあります。
 市場の繁栄を気にしているのは、開設者である行政のみです。税金を投入しなければ市場を維持できないためで、その際に議会に対して、どう説明するかが大きく関わっています。このために市民と一体になった市場のイメージを作り出そうとしています。

 実際には、行政が市場を繁栄させるためにできることは、ほとんどありませんから、市場の荷受や仲卸から、市場の繁栄の提案を求め、一部は実行されています。しかし、それがなかなか巧く機能しないのは、何かしようとしても、前例がない、市場法に抵触する、市場内で反対があるとか、ダメ出しをするのも行政です。これでは世の流れ、市場流通の不都合な部分は市場外へという形を、転換できる事は不可能で、後追いで認めても、その効力は低いものでしかありません。
 例えば先取り規制の解除は、有名無実化していたものを公式に認めただけであって、取扱量の増大には寄与することはほとんどありませんでした。商物分離を音頭とりしても、実際の取引の現場は、商物分離が進んでいて規制の多い行政の言う商物分離取引はほとんど進まないという現実です。手数料の自由化も、実際に進行している事態は止めることはできず、むしろ建前としての手数料率は残してもらいたいと言う業者の現実があります。
 市場は行政にとって、益々、始末し難いものになっており、農水省でも、開設者である地方自治体でも、どうして良いのかが分からないのが現状です。

 現在の市場は、市場関係者による独占的な立場、つまり既得権益の中にあって、それを侵害する形の提案は、市場内部で賛成が得難いということが、ポイントの一つです。全員が賛成するような提案というのは、世の常識からすれば、巧く行かない、そんなものがあるくらいならば、こんなに苦境になる訳がないのです。
 このある種、閉塞した状況を打破するのは、行政ではなく卸売業者しかいないでしょう。新しい枠組みを作る必要があり、その中にしか市場の繁栄はないと思います。新しい枠組みとは、現在の市場流通の核を為している品目、荷受/仲卸の壁を壊して、産地や需要者を巻き込んだ形の新たな機能分担を求めていく方向だろうと考えます。

(マーケット・オーソリティ)
 欧米には、マーケット・オーソリティという強力な権限を持った市場長がいる国があります。多分、これはポート・オーソリティからきた考え方なり、職能ではないかと思います。市場を含む区域全体を統括し、市場の繁栄に職務を捧げる立場で、公共的な役割、担い手です。私も詳しくは分りません。というのも、ポート・オーソリティについては、それほどではありませんが論文はありますが、マーケット・オーソリティについては、今のところ全然といってよいほどありません。
 ポート・オーソリティから勘案すると、地域発展の為に事業者の誘致を行ったり、入れ替えたり、必要ならば道路などの建設も行う権限がある。当然、市場の使用料などを決定する権限があるし、ルールに従わないテナントを排除する権限もある。地域全体を統括し、市場全体の繁栄に向って、どうやってテナントである卸売業者の負担を減らし、彼らの顧客が集まりやすく、集めやすくするか、各種のイベントの実施もあるでしょうし、そのための異業種の誘致も、競合の誘致も行うものです。当たり前のことですが、市場長の権限がすべてではなく、加わった事業者との連携や相互理解を行いながら、公共の予算を巧く活用して、受益者負担を徹底して、行政の負担そのものを減らすというものでしょう。マーケット・オーソリティにとって、何より重要なことは市場ブランドの価値を高めることにあると思います。