(2)農水産業インフラとしての市場の評価

 市場の評価が、現在のように取扱高であると、市場流通が減少していく中では否定的なものになります。取扱高で判断するなら、市場を中心とした生鮮品の流通政策の間違い(まぁ、実際に間違っていることは多々あるのですが)とされ、市場廃止論に傾いていくことになります。
 しかし、実際のところでは、市場流通が生きているからこそ市場外流通も生きている場合が少なくありません。市場がなくなって一番困るのは市場外で商売をしている人々で、リスクの始末を市場に任せているからです。今の日本のスーパーは、産地でできた野菜、すべての規格を受け容れ、販売できない。良いとこ取りをさせてくれる現在の流通は、便利であり、スーパーの経営を支えているのです。市場で価格を出してくれるから、彼らも価格が決められるのです。

 現在の市場流通というのは、生産者にも、需要者にも、ある種の甘えを与えており、生産者は需要者のことを考えず、自分達の主張を押し付け、需要者は生産のことを何も考えずに自分達の都合を押し付ける。生産者と需要者が直接、向かい合って取引を行う現場=市場外流通は、最初は市場の悪口、欠点を言い合って満足するから良いのですが、少し時間が経つと互いのエゴがぶつかりあう、まぁ、実際にはぶつかりあうまでには至らずに取引が減っていく。
 改善策として業者を間に噛ませて、利害調整をしながら進む。その際、業者が市場業者だったとしても、市場流通としてカウントされるかと言うと、そうならない場合も少なくない、というのが私の実感です。というのも市場流通にすると各種の規制を受けるためで、規制が業者にとって有利な場合、例えば確実な資金回収ができるとか、そういう場合はカウントされますが、不利である場合、カウントされない。現時点では不利になることの方が多い、これでは市場流通は減るのが当然でしょう。

 取扱高の評価だけでは意味がない。社会的な意味で評価するとすれば、生産者が引き続き生産をしたいと思う価格であり、品質評価であり、マーケットが望む商品形態、供給形態に対する評価なのです。建値によって表現されたものです。それは同時に過剰生産に陥れば価格が下落することで抑制される市場の価値にあります。流通コストはそれぞれの卸売業者が努力し、いかに低廉化を図るかであり、昨年辺りで問題になった食の安全性についても、市場が行うのではなく個々の卸売業者が自らの商売の中で努力していくもので、市場が担保するというのは少し違うように思います。行政が行うべきは不良業者の認可取り消しで、市場内外のすべての業者に網をかけて、不良業者を排除することにあります。それが国民の健康を守ること、生産を維持し、生活を守るであると考えます。