食品卸売業の人材育成と管理


(人材育成)
 卸売業の大きな役割に、流通に関わる人材育成があります。一般の企業は社員の育成が大部分であるのに対して、卸売業の場合は産地や小売、あるいは業界内の他の卸から人を引受け、人材の育成を図ることは、よくみられることです。

 人材育成は、営業マンが産地や需要先に赴いて、各種の情報交換を通じて、マーケットや産地の現況について理解を深めていく方法や、産地が小売、飲食店を、小売、飲食店が産地を訪問することを、仲介するなど積極的に交流を図らせることがあります。また、小売や産地の人間を引受けて、社員と同じ仕事をすることを通じて、卸の業務、流通全体を見渡す眼を養っていく方法です。後者の方が人材の育成という意味では、より深いものであることは言うまでもありません。卸にとって、このような人材の育成、交流は、より強固なコネクションを作っていく意味で大事であり、卸の事情に通じた人間が産地や小売にいるということは、よりスムーズなネットワークの構築が図れます。

 卸における人材育成は、机上で学ぶものは少なく、人と人との交流=取引を通じて学んでいくことに大きな特徴があります。同じ会社内での先輩と後輩、ライバル会社の、まさにぶつかり合う人間も重要であり、ライバル会社のベテランの方法も、大いに勉強の種、やり方を学ぶことができます。

 卸売業で最初に学ぶことは商品知識です。プロとして商品を見る力を養うことです。本当に優れたものは、他とどう違っているのか、商品として落ちるものとは、どういうものであるかを見分ける力です。
 次に学ぶことは相場観です。どういう値段を付けたら良いのか、恥ずかしくない値段とは何かです。何でも安く叩くことが技量ではありません。正当な値段をつける、自分の専門でなくても、自分の好みでなくとも、買わなくとも、これはこういう値段だなと知ることです。
 そして三番目に学ぶことは、自分のお客、大切と思うお客にふさわしい、適正な商品とは何かです。無闇に高くても、安くてもいけない。良い商品ならばどうでも良いということはないのです。偽者だって相手が望み、引き続き買い物してくれるなら、それで構わないのです。お客だって千差万別です。その先の消費者だって千差万別なのです。ふさわしいお客に、ふさわしい商品を、ふさわしい値段で調達し売る、それが魚の世界では目利きと言われるものです。

 卸売業では、入社、半年でもプロとしての腕が求められます。スーパーのバイヤーは10年、20年、同じ仕事をしていても、素人で良いのです。素人であることが求められる、素人発想が求められる。同じような仕事をしていながら、これだけの差があるのです。

(出世)
 今どきは出世を目指す人は少ないでしょうが、組織の側では次を背負う人を育てるというのが重要なテーマとしてありますから、これぞという人間に英才教育をしていくのは、どんな業種、業態でも共通です。若い頃は、学歴とか出身とかを目安として、選抜し、それなりの扱いをしていくのが組織というものです。30歳を過ぎる頃から本格的な、実績を基にした競争を行い、勝ち抜いていけば、出世コース、課長になり、部長になり、役員になるという形です。ある段階で留まるとすれば、それ以上になる能力がなかったという意味です。能力は仕事が出来るだけではない、部下への統率力、関連する部署への調整力、顧客や取引先からの評価、競合する同業者の評価、将来展望と意欲などがあります。最後の最後には人間性や運が関わります。

 一般の会社のエリート教育が、会社の様々な部門を体験させ、全体像を掴ませる形で行われますが、卸売業は営業一本でいくのが普通です。人間力が営業の基本ですから、それなりの学校を出れば、それなりの注目はありますが、営業実績がストレートに評価に繋がります。個々の取引の実績よりも、トータルな売上、利益です。個々の取引では失敗は誰にでもあり、失敗も皆から冷やかされますが、それも愛敬の一つで、それをばねに頑張るのが通例で、それでどうこういうほどに損害を会社に与えるということになれば、その取引に彼を起用した方の責任も問われることになります。減点主義は卸売業には存在しません。
 営業ですから、本人の能力を超えた「運」も大きなポイントで、運の良さも評価の対象になります。勝負を懸ける取引では、運の良さを期待して起用することも稀ではありません。
 生鮮食料品のように、毎日、大量の取引を行う場合には、内外の情勢を読んで価格を付けていくテクニックが、セリであろうが、相対であろうが、極めて重要で、その中で鍛えられる部分がかなりあります。そういう場内での評価と、外部の顧客や取引先の評価が決定的で、その実績が社内での力関係に強く反映されるのが特徴です。このために社内遊泳術の巧さは、評価が低いのが普通です。ある種、気持ちの良い、分かりやすいものです。

 出世コースというか、代々、トップを出す部門というのがあります。かつて果実が会社に大きな収益を生み出していた時代の、その後は、どこの青果の卸売会社のトップは果実担当だったことがあります。今は、果実は押され気味なので、野菜担当が多いです。魚では鮪の担当が大きな顔をしていました。このようにある部門が大きく伸びると、社内の立場は急激に強くなっていきます。実績主義というリアリズムです。縮小していくような部門に配属された営業は悲劇的です。努力に見合わない。ここらが成果主義に結合しない理由です。社内異動が期待できない分、スピンアウトする人も出ます。何とか工夫して現状維持を狙う、様々な方法を駆使する形です。
 縁の下の力持ち的な産地や商品、顧客の開拓、新しい取引方法の形成などは、出世という意味でなかなか日の目を見ないのが普通です。ただ、伝統的な部門が停滞する中で、新しい芽を拾って次に繋げようという意志が働いてくると、登用という形で新しい時代の息吹を感じることがあります。
 社外からの登用は、伝統的な組織との軋轢で、なかなか巧く育っていくことができない場合が多くあります。



(営業マンの管理)
 卸売業のマネジメントには、他の業種にはない営業マンの管理問題があります。

 卸売業の営業には、顧客へのアプローチの中で、バイヤーに特別な便宜を図ることで仕事を得る、取引を拡大することがしばしばあります。逆に、取引先から便宜を図ってもらうこともあります。それが通常の接待、飲食や接待ゴルフ、接待マージャン、お歳暮などの範囲で、持ちつ、持たれつの関係の中ならば問題はありませんが、それを逸脱しなければならない、特別な関係を作らなければならない場合があります。その場合、会社からの承認があれば良いのですが、会社からの承認が得られない、承認を待っていたのでは間に合わない、営業マン自身の判断にゆだねられる場合が発生してきます。その場合、身銭を切ることになる訳ですが、そういう場合に備えて、有能な営業マンは自身で金をプールして補おうとします。
 何故、そういうことが可能かというと、営業マンは自分で仕入れて自分で売っている関係上、会社に分らない部分で取引を仕組み、自己の利益にすることが可能だからです。そこに大きな誘惑が絡みこんできます。
 このような不正(?)行為は、会社の方で限界を設け黙認している場合もあります。潔癖にしていると仕事が取れない業界もあり、会社として大っぴらに交際費として認め難い場合があるからです。

 しかし、野放図にすれば会社が不良営業マンの喰いものになってしまいますから、個々の営業マンの、日々の取引を管理します。取引の内容には、なかなか立ち入って調べることは困難です。このため、外側から押さえる形、売上と利益、資金の管理が中心になります。問題は、顧客や仕入先の担当者と結託して行う不正です。なかなか不正が分らない場合があり、かなりの金額に膨れ上がり、時として業務上横領として告発することもありますが、そこまですると会社の責任問題にも発展しますので、内々で処理する場合がほとんどです。
 営業マンの方では不正を行っているという意識が低く、すべて会社の為、営業成績を上げる為に行っている場合もあります。不正というほどではないが、やり方に問題はあるけれど、有能な営業マンというのは少なくありません。真面目でひたすら努力はしているが、仕事が取れない、売れない、そういう人ばかりでは、会社は成り立っていかないのです。営業マンのヤル気を維持し、なお、不正を防止するためには、有能な上司が必要です。

 営業マンの管理のもう一つの側面は、優良な顧客を持って独立され、会社の方がマーケットの重要な部分を喪うという事態が起きることを避けることも入ります。どちらにしろ会社と営業マンの信頼、帰属意識に関わる問題です。会社のトップの姿勢、倫理観が問われる問題です。

 もう一つ付け加えると、営業マンの心身の管理も重要です。営業というのは、いけるときにはドンドンいけるのですが、失敗が重なったり、なかなか巧く注文が取れない、あるいは顧客からないがしろにされる等により、鬱になることもしばしばです。欝になると何もできない、悲観的な気分になって使い物にならない状態に陥ります。
 営業というのは、躁鬱的な体質になりやすく、如何にフォローしていくかが会社として大きな問題で、元気付けのために毎日大きな声で歌を歌わせたり、号令をかけたり、酒で気分をまぎらわせることを積極的に推し進めたりします。