食品卸売業の将来像

 卸売業の将来については、悲観的な見方が少なくありません。将来を嘱望されてるとは言い難いでしょう。でも、それは卸売業が一体、どういう業であるかの理解に欠けている面が強くあると考えています。機械的に大型店舗に商品が供給され、それを消費者が買い、使用するというイメージは、刑務所、収容所を連想するものです。
 先日も、どこぞのスーパーで自動発注システムの導入という記事がありました。棚の在庫数を検知して自動的にメーカー・問屋に発注を掛けるという、確か二十年ぐらい前からある話で、目新しさもないですが、また、失敗を繰り返すのかという印象です。手を抜けばそれだけ、売上が下がるということが分からないのでしょう。どれだけの人件費の削減になることか、多分、ゼロでしょう。にもかかわらず、自動発注商品については手を抜くこと、注意していなくて良い、会社がOKと言っているのですから、これは駄目でしょう。
 発注という商行為の大事な一部を喪ったら、流通業とは言えなくなります。小売業は、装置産業的な様相を強め、ともかく大規模な店を作って、周囲の小売業を圧倒することで勝ちを制する、アメリカ型になっていますが、それはコスト増を招き、消費者に苦痛を強いるものになっています。新たな小売業への道を模索する意味でも卸売業の重要性は、今後、強まることはあっても衰退することはないでしょう。

 将来像を考えるときに、いったい流通コストはどのように変遷してきているかの問題があります。日本には流通コスト=マーケット・コストを分析したものはありませんが、アメリカの例で言えば、マーケット・コストは生産者の手取りが低迷して中、上昇しています。アメリカの流通のように、あれだけコスト削減に血眼になっているのに、なお、上昇しているのは、ある種、ショックでした。日本でも同じでしょう。とすれば流通コストの上昇分は誰が奪っているかは、言わずとしれたスーパーであることに間違いはありません。生鮮品の価格の上下、あるいは円為替の上下にも、スーパーの売価はほとんど変化していないという事実からも類推されるとおりです。スーパーの経営は本質的に流通コストを上昇させる方向に動いているという現実をよく考えておくことが重要です。消費者向けのマーケットに穴が開き始めていることです。デパチカ、通販、100円ショップでは埋めきれない穴だと思っています。

 卸売業者にとって、将来的な商業空間をどのように設計できるのかが、大きなポイントであることは間違いありません。現在のようにスーパーを中心に、あるいはアメリカ郊外のようにショッピング・センターにすべての商業施設が収容されるような形を前提にするのか、行政が進める商店街の活性化に未来を託すのか、あるいはまったく別の道を探るのかがあります。

 その際、重要なことは、流通コストの配分における主導権を、いかに卸の手に取り戻すかの問題に集約されます。価格の変動が期待できない中、物販だけで、流通に関わる費用を得ることは難しいのは、よくお分かりになると思います。
 流通コストの大きな部分を占めるのは物流費と想定されます。しかし、物流システムの合理化によって、スーパー主導の物流から、卸主導の物流に切り替えることは、不可能ではないですが、至難の技であり、企業規模の問題も関係してきて、すべての卸売業に通用するものではありません。となれば、それ以外のマーケット・コストをいかに、卸売業の手元に引き寄せ、手中に収めるかがあります。


 もう一つ考えるべきことは流通の枠組みを転換させることです。卸売業という定義そのものを転換させていくことです。卸売業自体の中に生産や需要を組み込んでいくものです。昔の卸売業では、産地やメーカーの産品を需要に合わせて小口化やリパックを行うのは当然の仕事だったのですから、卸売業が生産の現場に関わっていく、あるいは小売の現場に進出していくことは当然、やるべきことであり、卸売業のテリトリーを拡大する最も簡単なものではないでしょうか。

 この商業空間のあり方、流通コストの配分、卸売業の役割分担という点から将来像を考えたいと思います。