SM Sadism & Masochism
 SMは極めて古くからある性風俗で、19世紀になって、サディズムではサド侯爵、マゾでは小説家のマゾッホから名づけられますが、それは小説という形で世に出たという意味でしかありません。 日本では戦前から伊藤晴雨が有名ですが、江戸川乱歩などのサスペンスには、SM的な描写がかなりあります。70年代にはポルノ映画が流行り、日活ロマンポルノでは、谷ナオミが人気を拍しましたが、どちらにしろ一般の人達にとっては、長らくタブー視され、特に普通の女性はSMという言葉の意味を知らなかったものです。
 昭和50年代に入ってから、アダルト・ビデオが普及し、性行為やら性のテクニックが本ではなく、具体的な映像となって紹介され、フェラチオなんかが広く知れ渡るようになります。そしてSMも黒木香によって広く知られるようになったのは、その特異な個性と、腋毛(それまで女性が腋毛を人前でさらすことはタブー視されていた)によってTVに引っ張りだこになり、一挙に普及していったのです。


 このような中でSMは、特殊なマニア向けの性風俗であったものから、表舞台というと言い過ぎですが、雑誌などのメディアにも取り上げられ、SM雑誌は勢いを増し、次々と創刊され始めます。
 SMは基本、男を顧客とし、客が女を虐めるのを快楽とするか、女に虐められるのを快楽とするかの違いでしかありません。一般的な男はサディスティックな欲望を持つのですが、中にはマゾヒスティックな欲望を持つ男がおり、中にはボンデージなどといった独特のファッションスタイルも見られ、ことさら非日常性を演出する傾向が見られる。
 日本では俗に「緊縛」と呼ばれる縄で縛り付ける行為も見られ、この緊縛にも「緊縛師」と呼ばれる専門家が存在するなど独自文化も形成しており、日本では羞恥プレイや緊縛プレイといったジャンルのポルノ媒体も相当な比率を占め

流行写真「1億人の性風俗」1985.年9月増刊
写真時代83.7

いわゆる「ソフトSM」と呼ばれる行為では「手を(軽く)縛る」や「目隠しをする」といったプレイも見られ、それを含めると潜在的愛好者層は相当数にのぼるとみられている。


SMトルコ・SMクラブ
 SMクラブに勤める女性には、常にSの役割をする女王様と、常にMの役割をするM女性がいることが多い。 SMクラブに勤める女性が、客によってSの役割とMの役割の両方を1人で使い分けることもある。本番(性交)は行わないことになっている。80年代に急激に増加したのは風俗営業法の改正に、SMクラブが対象になっていなかったのが大きく、1985年当時、東京には79軒のSMクラブがあるが、本格的なSMプレイ室を完備しているのは20数軒で、他はそれなりの道具類がある程度のラブホテルであったようです(流行写真の記事から)。

宝島216「ヘンな広告」

 SMが広がり始めると、それをショーとして見せる形が現れます。ストリップ劇場では前々から行われたものが、SMに特化した形でショー化する。

写真時代83.5

下川耿史「極楽商売」

 上のようなきわめて日本的なものもあれば、やや欧米化したようなショーも現れる。


流行写真「1億人の性風俗」1985.年9月増刊


 SMへの関心は日本だけがどうのこうのではありません。性に関する普遍的な何かでありましたが、欧米ではボンテージという縛りと鞭打ちが主力ですが、この時代に日本と同じような広がりを見せ始めます。裏の世界から表の世界への流れがあり、有名写真家も有名なファッションデザイナーもSM的な要素を強く打ち出すものが増えていきます。性的な刺激を求める感覚がより強い刺激を求めて過激化していく流行と言ってもよい流れです。



 漫画にもSM的な雰囲気が濃いものが現れます。





SM雑誌
 こういう世の中ですからSM専門誌もまた、活気づき、奇譚クラブなどの老舗からも、新たな出版社も大量に参入し始めます。それも日蔭のポルノ雑誌を扱うような店の片隅に置かれるのではなく、堂々と普通の店にも、コンビニでも売られるようになります。時代は大きく変わり始めます。その代表格は カルテ通信でしょうか。


SM文学
 SM雑誌を埋めていたSM的ポルノ的な文学??にも次第に注目されるようになります。その嚆矢となったのは、沼正三氏による家畜人ヤプーという女王様と奴隷というマゾ文学であったでしょう。文学的にも高い評価を受けます。漫画にもなりました。
家畜人ヤプー

 日本のSMというのは、欧米のそれとは異なり、恥じらいとか、従順とかの極めて日本的情緒をはらんだものであったが故にか、既に日本の女性から多く失われた要素を持っていたこともあり、また、文学としての創造性とは少しずれたものであったこともあってか、なまじの小説よりも販売量がケタ違いであったこともあって、この時代にSMを専門とする作家が多く生まれてきます。千草忠夫氏も、その一人であり大ヒットメーカーでありました。

 その他、レイプものを得意とした綺羅光氏がおり、その他、女性の作家もいました。


その中にあって蘭光生(式貴士)氏は一般小説を式貴士の名前で出すなど幅広い活躍をしますが、SM文学を手掛ける方には、器用な方は少ないようでした。


 SM雑誌では文学には必ず挿絵がついていましたから、挿絵作家も注目され、中でも前田寿安氏は高い評価を受けていました。
愛奴
 海外のアートシーンにおいても、SM的な題材の絵が強くアピールされていきます、その代表がヘルバインGottfried Helnweinです。顔に金具を打ちこまれ絶叫する姿や包帯だらけの少女の姿などが描かれます。


殺人、連続殺人

 時代はある種、不穏な雰囲気があり、アメリカにおける連続殺人が話題に上り始めます。そしてその原点になったと見なされたのが、チャールズ・マンソンでした。ファミリーと称せられるシンパ数名とともに、1969年、著名な映画監督であるロマン・ポランスキーの妻であり女優であったシャロン・テートを殺害して全世界に知られるようになりました。


 これだけならば、そのまま猟奇的な事件だけで終わったのでしょうが、この時代にある種の暗黒のヒーローとして復活してきます。続発する連続殺人事件は次第に犯人をヒーロ化する動きが出てくるからです。次のゾディアック事件 Zodiac Killer もまた、その類の一つであり、犯人は捕まらなかったが故に謎として興味を刺激していくことになりました。
 1968年から1974年のサンフランシスコで警察が確認できた被害者5名を殺害。ゾディアック(黄道十二宮の意、一般的には“星座”)と名乗る人物がサンフランシスコ湾域警察、新聞社「タイムズ・ヘラルド」とサンフランシスコの2社、著名人へ多量の手紙を送った。その中で27人を殺したと書いている。犯人不明のまま、事件は解決されず、以降、連続殺人事件の映画などに非常に多く参考にされた。
 1990年代には、ニューヨークでこの事件を模倣した連続殺人が発生した。以後ゾディアックは連続殺人の代名詞にもなる。 結局本事件は犯人逮捕に至らなかったが、IQ136を誇るアーサー・リー・アレンが最有力容疑者候補とされる。当人の死後、彼の犯行を裏付ける証拠品が見つかった為である。


 日本の連続殺人事件などについてはバブルの時代を参考にしてください。