Tatoo/刺青

刺青(入墨・文身)
 魏志倭人伝にも記されるようにわが国は非常に古い刺青文化を持ちます。 江戸の頃は職人をはじめ、相当に広く普及していたと思われます。中でもガエンと呼ばれた火消し職人は、粋でいなせで男度胸の象徴のように、刺青、それも全身に華麗な華を咲かせます。さすがに武士では少なかったろうと思われますが、それでも江戸の初期は町奴の向こうを張ってのカブキ者あたりには相当に行われていただろうと思われます。
 堅気の女性には少なかったろうと思われますが、廓の女では思う人の名前を見えないところに彫ることも行われました。 刺青の流行は数多くの技法を生み出し、世界に冠たる芸術的な肌絵が誕生します。 また、刑罰として前科が分かるように刺青をすることも行われました。


 明治になると、旧制の甚だしきものとして、公的な世界では禁制になりましたし、彫り物を入れるのはヤクザであるといった認識が強まり、堅気が刺青を入れることはタブーになり、職人たちの彫り物も減っていきました。それでも昭和30年代の風呂屋ではお爺さんの背中に絵が入っているのを何度か見た覚えがあります。

 この状況がゆるやかに変わり始めるのは昭和70年代のヤクザ映画ブームがあります。映画の中では刺青が乱舞します。それでも堅気の人が刺青を入れるのは100%無理でしたし、ミュージシャンでも刺青はありません。

写真:秋山庄太郎 Photo Japon 1984.6

 この雰囲気が大きく変わるのは、アメリカを中心にしたタトゥー
Tatooブームです。初めは主にミュージシャンなどが小さな刺青を腕などに入れる形でしたが、次第にエスカーレイトして行き、全身に入れるようになります。人気ミュージシャンのタトゥーが注目され、ある種の主張として一般のファンに浸透し始め、おしゃれという感覚が生まれました。モダン・プリミティズムの流行のテーマの一つになっていきました。

人気女優のアンジェリー・ジョイナー

 こういう欧米の動きに、日本はタブーが強かったので、そう簡単には浸透しませんでしたし、その図柄が日本の伝統からすれば、ひどく稚拙でもありました。が、むしろ欧米の人間が、日本には何しろ世界に冠たる刺青美術がありますから、日本の刺青に注目し、似た図柄を求める傾向も出てきました。つまり多色の悪魔などの刺青がその典型です。これが日本に飛び火してきて、マイナーで底辺にあった刺青文化が表に出てきます。刺青師が表の世界に出てきて、画集などが発行されるなどが行われます。 おどろおどろしい雰囲気が好まれるのも時代の雰囲気です。

 こちらはネットで拾った画像です。若い女性の白い背中に彫られた刺青は格別の人気があります。

 この時代の流れの中で、バイク雑誌として発刊された「CRUSHCITY RIDERS」が「バッド・テイスト(悪趣味)」という時代の変化の中で名前をBURSTに変更(1995年)、世紀末神風特攻機≠ニ名乗って、タトゥー、ボディピアスといった身体表現から身体改造、ボディ・ハックティビズム、ハードコアから屍体写真、スカトロジーに、ニューエイジ、サタニズム、サイケデリクス、そして媒体となるハード・ドラッグ、変態性愛にまで広げて、社会のアウトローである暴走族、ギャング、やくざ、右翼までも網羅します。この時代を先駆ける姿は、なかなかのものがありました。雑誌は十年続きます。その後もタトゥー(Tatoo)が刺青専門誌としてしばらく続きますが、2010年に入る頃には一般市場からは消えます。