ノーパン喫茶
 Wikiから。『1978年、京都河原町で誕生。従業員が下着を履かない喫茶店。 上半身は乳房を露わにし、下半身は見えそうで見えないがやはり見えるミニスカートと言うのが典型的なコスチュームで、最盛期には東京で170店舗以上、大阪で140店舗以上が見られたと言う。 広岡はこのノーパン喫茶に個室と抜き、即ち射精に至る性的行為が加わり、ファッションヘルスが産まれたとする。 1981年、東京を中心とする関東で大ブームとなり、地方都市も含む全国的ブームに発展』します。
 下のパンフはノーパン喫茶以前に流行したトップレス喫茶ですが、これはすぐ禁止になっていますし、それほど流行もしませんでした。



たなか 亜希夫「アホーマンス」

78年に登場したノーパン喫茶(写真左は荒木経維)

                                          ノーパン喫茶出身でアイドル的な人気を得たイブちゃん

 アメリカとの経済戦争の中でバブル崩壊も随分、過ぎた頃の98年に、スキャンダルとして暴かれる大蔵官僚への銀行MOF担による接待があり、それがノーパン・シャブシャブ店「楼蘭」であったことです。 接待自体は、既にノーパン喫茶ブームが終わったバブル景気の真っ最中の頃のことです。ノーパンシャブシャブという、扇情的なスキャンダルは、大きな騒ぎに膨れ上がるのですが、当時はまったく知られていない。 日銀マンも銀行の接待にどっぷり浸かっており、、接待を水にたとえて「ざぶん」(小料理屋で「すそに酒がかかる程度の軽い接待)、「どぼん」(高級料亭や高級クラブでの「酒に浸りきってしまう」高額接待)という隠語で呼んでいたそうです(有森隆+グループK「黒い経済人」)。 接待疑惑で一躍有名になるのは新宿ノーパンシャブシャブ楼蘭、ノーパンの女の子が天上に取り付けてあるボトルを取るのに客が下から覗き込む店だそうで、まぁ、何が楽しいと言って、バカ騒ぎなんでしょう。 顧客名簿が公開されてましたから、興味のある方は、http://www.rondan.co.jp/html/news/roran/。いやぁ、凄いメンバーです。
 この頃の官僚への接待もまた、凄まじいものがあったと言われています。 規制の裏道やら、都市計画の見直し、リゾート計画をめぐる情報戦であった。口利き、圧力、情報を期待した接待攻勢が政界、官界に及んでいったのです。 バブル崩壊以前から、企業スキャンダルが頻発し始めていました。2008年に日銀副総裁に推された武藤氏も、この接待を受けていたといわれ、この事件が後を引くことにもなります。

斜陽ノーパン業界の輝ける蝶と紹介された
写楽 83.6

マントル
 当時、東京新大久保駅周辺には50軒にのぼり、その中で下の女性は130人のマントル嬢を抱える24歳の経営者だそうです。マントルというのは、普通のマンションの一室を区切って個室を作って、トルコ(ソープ)並みのサービスが受けられ、しかも安いということで売った風俗です。暴力団の資金源となったもので、この女性の背後にも暴力団がいたのでしょう。警察はローラー作戦で潰していきます。客の頻繁出入り・マントル嬢の悶え声等でマンション隣人からの苦情が多く、警察に摘発されるケースが相次ぎ、業者およびマントル嬢にとってより安全なホテトル、ホテルで、女の子を呼び出しができる風俗の出張サービスへ移行していきました。この時代は風俗のサービス開発が猛烈に行われた時代で、次々と新手のサーボスが登場してきます。
FORCUS