モス創業時復刻版店舗

サービス・ビジネスの勃興
外食宅配警備保障ビジネスホテルサウナ、エステ、カラオケコインランドリー人材派遣結婚情報サービス就職情報誌

 豊かさが様々な形のサービス関係のビジネスを作り出していきます。70年代から創業が相次ぎますが、実質的な発展は80年前後に集中します。一つは外食、かつては飲食店といわれていたものが外食産業に雄飛します。コンビニもこの時代です。ヤマトに始まる宅配、ペット関係のビジネス、警備保障会社、サラ金(消費者金融)もこの時代の創業です。従来の旅館に代わってビジネス・ホテルができてくるのも、カラオケが出現するのも、サウナのブームが起きるのも、ディズニーランドに代表されるテーマ・パークも、アメリカから導入され、それに刺激されて我が国の中でも模索が始まります。この時代の新たなサービス業の特徴は、アメリカのコピーと同時に半分程度は我が国の独自の工夫が入ることです。以前のものが、ほぼ100%コピーだったために起きた不都合が比較的小さく、我が国の土壌に馴染み、以前の状況が分からなくなりつつあります。

外食産業の成立
 この時代に外食の世界は大きな発展を遂げていきます。外食分野における海外企業の参入規制の撤廃(第二次資本自由化1969年)を受けて、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツなどの外資系の企業参入が始まると同時に、我が国の中でも、その手法を模倣した企業が創業され、爆発的なマーケット展開が始まります。創業は70年前後ですが、実際の発展は70年代の後半から80年代です。
 以下は現在も生き残る代表的なチェーンですが、創業から10年くらいの間は、同業者が入り乱れての乱戦で、数多くのチェーンが姿を消しています。現在、数百の店舗を経営する企業のほとんどが、この頃の創業です。創業者は伝説的なカリスマを帯び、巨万の富を得、ジャパン・ドリームを地で行く成功を収め、業界を君臨しますが、停滞の時代に入って、創業者が会社を追われるという事態も、やがて起きてきますが、その話は本題ではありません。この爆発的なブームは、多くがフランチャイズ・システムで店舗展開をしたことで素人でも簡単に創業できる、店を持てるということで、全国を巻き込む巨大なブームになります。この熱狂は、過去にも将来にも起こりえないものでした。
 一方、消費者からみた時、自家用車に乗って家族で食事に行くというスタイルが爆発的に拡大していくことでありました。ニュー・ファミリーという言い方もできました。小学生くらいの子供といっしょに土日は郊外でファミレスで食事。若い者はファストフードで歩きながら、スタンドに座ってパッパと忙しく食べるスタイルが確立していきます。外食がハレの行事だったものから日常に組み込まれます。主要幹線道路沿線にはファミリーレストランや代表的なファストフードが林立し、ファミマ通りが出現し、その後を追ってロードサイト・リテイラーと呼ばれたディスカウントストアが出店してくるのです。

FF系
(外資)
 日本マクドナルド(創業:藤田田、藤田商会、1971年)
 日本ケンタッキーフライドチキン(創業:大河原毅、三菱商事、1970年)
 ミスタードーナツ(創業:ダスキン、1971年)
(日本)
 モスフード・サービス(創業:櫻田慧、1972年)
 吉野家(創業:松田瑞穂、1968年)
 松屋(創業:瓦葺利夫、1968年)
 小僧寿し(創業:山木益次、1968年)
 京樽(創業:田中四郎、1968年セントラルキッチン設営)
 ホッコク(創業:青池 保、1968年)
 リンガーハット(創業:米濱豪、1974年)
 ほっかほっか亭(創業:田渕道行、1978年)
 ドトールコーヒー(創業:鳥羽博道、1972年コロライド開店)


FR系
 すかいらーく(創業:茅野亮、1970年)
 デニーズ(創業:イトーヨーカドー、1973年)
 ロイヤル(創業:江頭匡一、1971年)
 村さ来(創業:清宮勝一、1976年)
 つぼ八(創業:石井誠二、1973年)
 天狗(創業:飯田保、1969年)



宅配の成立
 1976年、大和運輸により、宅急便と名づけられた、電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」がスタートします。 それまで家庭で荷物を誰かに送る時は、郵便局までもっていかなければならず、何時、着くのかも分からないものであったことから、爆発的な形で普及が始まります。その後を日通や佐川など大手の運送会社が追い駆けます。戸配は宅急便という名前が浸透しますが、宅急便はヤマトの登録標章であったことから、やがて宅配便と名前が変更されます。
 宅配の形成は我が国の物流の大革新に結びつき、トラック便の利用を推し進めていくことになります。ヤマトが黒猫をシンボル・マークにしたことで、後に続く企業も多くが動物をシンボル・マークになったのは、なかなか面白い現象です。

説明をする小倉昌男社長
宅配の飛躍になったクール宅急便

警備保障会社の形成
 警備保障会社が注目を集めるようになるのは、NHKが鶴田浩二を主演としたドラマ「男達の旅路」(1976年)でガードマンを取り上げとことが大きかったと思います。 それ以降、ガードマンは広く人々に知られるようになります。もちろん実質はその前からあるのですが、このドラマが切欠で広く注目されるようになり、会社などで警備保障会社を使うことが当たり前のようになっていきます。昔はサラリーマンをしていると若い頃は必ず当直というのがあって、会社に泊まりこんで番をするのが普通でした。警備保障会社を使うようになって、それが一掃されたのは若いサラリーマンたちにとってはありがたい話でした。
男達の旅路
 警備保障会社は、大きなブームとなって全国のアチコチで設立され、いい加減な企業も出てきてしまったので法律の整備が進み、業界も様々な投資、機器類の開発等を行って警備の質を高める努力がなされ、一大ビジネスに成長していくことになります。

商人宿からビジネスホテルへ
 ビジネスホテルがなかった時代は、旅館や簡易ホテルでした。大都市にあったホテルはこんな感じでした。和室で複数の人間が一間に宿泊。共同便所、共同風呂でした。
ビジネスホテルが出現してくる前の旅館の雰囲気 写真:深瀬昌久

 ビジネスホテルという名前が出てくるのは70年代の半ば以降ではないかと思います。 大阪、名古屋などの大都市に出現し、それが次第に地方に広がっていく形です。普通のホテルに比べて、値段が安いことが一番の魅力で、これまでと違って個室で、のんびりできることから爆発的に拡大していきます。

 なかなか古い感じのビジネスホテルがないので、ネットにあった知多市のものを置いておきます。室内写真は左とは無関係です。 狭さを実感していただくために、この画像にしました。出張が多い生活をしてきましたので、それこそいろいろなビジネスホテルを経験してきました。なかなか面白いですが・・・。

サウナの大衆化
 サウナの原型は昭和26年開業の東京温泉であったようです。 当時はトルコ風呂と称し、後の風俗で使われるようになるのとは、まったく違うもので、純粋にマッサージのみだったのですが、その評判が次第に風俗になっていくので、後のサウナとのつながりは必ずしもはっきりしません。
写真は東京温泉

 サウナが流行し始めるも70年代の半ば以降であったように思います。 サウナ・スパ新聞の発行がその頃だからです。初期にはマッサージということで売春まがいという噂というか、そういうことをした業者も利用客もいましたが、取り締まりもあり、業界の健全化の努力もあって、純粋にリラクゼーションのための利用になります。ブームが起き、あちこちにサウナが作られ、利用が進みました。今では発祥の地、フィンランド風の豪華なサウナも営業しています。温泉ブームが後押ししているところもあります。
女性専用サウナ

エステ
 豊かさの到来は女性に肉体的な美しさを追究する機会を与えます。エステティック自体は欧米の流行として、それこそ戦前から情報は流入していまして、80年代はごく普通の女性がエステティックサロンに行く時代になります。その中で一番有名になったのはたかの友梨のエステサロンです。この画像はつい最近のものです。

 エステの流行は肉体への関心を呼び起こしていくことになり、ダイエット・ブームや美肌を求める新たな需要を作り出していくことにもなりました。1991年にはたかの友梨エステティックシンデレラ大会も開かれるようになり、いかにダイエットに成功したか、変身できたかを競うものになりました。美容整形も次第に抵抗が減っていくことにもなりました。
2012年のグランプリです。

カラオケの爆発的な流行)
 かつて呑み屋街には「流し」と呼ばれるギターを片手にした男が回って、酔客の希望に応じて歌を披露したり、伴奏を受け持ったものでした。

土田世紀「俺節」

 歌はもっぱら歌謡曲であり、POPSも少しあり、やがて演歌が隆盛を迎えると演歌が主流になります。カラオケは、1971年に井上大佑という一人のバンドマンによって発明されたもので、その切欠は客のキーやテンポに合わせて演奏するのが得意であった井上が、なじみの弾き語り客から「社員旅行で使いたいので、伴奏だけを入れたテープ(=カラオケテープ)を作って欲しい」と依頼されたことが始まりとされています。テープを作り、コインボックス式の再生装置に入れて、スナックなどに置き、それがスナックの商売に大きく貢献したことで、爆発的な普及が始まります。詳しい歴史年表は、全国カラオケ事業者協会にあります。

 80年にはカラオケ採点機のブーム、82年にはビデオ・カラオケ、83年には個室カラオケレンタルが始まるなど、スナックから始まったブームは、旅館の宴会に、家庭に、職場のちょっとした息抜きに、ラブ・ホテルにまで広がり、猛烈な勢いで普及していったのです。このブームは日本人の海外生活にまで入り込み、それがやがてカラオケの海外進出、カラオケが国際用語にまでになり、1999年、井上は米国タイム誌の「今世紀、アジアにもっとも影響のあった人物20人」という特集の中で「毛沢東やガンジーがアジアの昼を変えたならば、井上はアジアの夜を変えた男だ」と紹介されました。
カラオケ・セット 秋葉原にオープンしたカラオケ館
 こういうものに詳しくないのですが、下のようなカラオケボックスが集合した施設は最近は減ってきたように感じますが。カラオケも一時の勢いがなくなったのではないかと思います。


コインランドリーの出現)
 コインランドリーが街のあちこちに出現するようになるのは、70年代も終わりの頃のように思います。洗濯は家でするか、洗濯屋に頼むかの選択肢しかなかった時代から、独身者を中心に、一般家庭でも普通の洗濯機に入りきらないものを洗うためにコインランドリーを使う形が生まれました。アメリカ流の生活への憧れが混じっていました。
 大概は風呂屋の近辺にあり、場末のうら寂しい雰囲気が濃く、独身の男の子が散らばっている漫画を読みながら洗い終わるのを待っている風景でした。アメリカ流の格好良さは欠片も出現しませんでした。コインランドリーが風呂屋の副業である場合は多く、湯上りの肌を涼むための小さな庭を潰して作ったので、江戸の頃からあった地域の連中が集まって話をする場も、風流も潰したとも言われました。

松本大洋「鉄コン筋クリート」

人材派遣業の登場
 私の記憶が正しければ、人材派遣業が大きな脚光を浴びるのはコンピュータ・サービス、現在はCSKと呼ばれている会社が始めたコンピュータのオペレーター派遣でした。1970年代の初めです。当時のコンピュータは中型機(現在のパソコンよりも能力は下)でも、数億円の値段がする極めて高価なもので、24時間稼動で元を取ろうとしていました。これに社員を投入すると人件費や労務上の問題があり、外注という話に容易に乗る環境にあり、それに目をつけたコンピュータ・サービスの大川社長が創業したのです。これは当りました。会社は急激に成長し、コンピュータ関連の開発関係も取組み、日本の代表的なソフトウエア開発会社になっていったのは、近くで見ていた我々、コンピュータ屋には驚きそのものでした。何しろCSKの社員は当初はコンピュータのことが何も分からない、ただ徹夜でオペレーションができる、それだけだったのですから。
 以降、コンピュータ周りから始まって人材派遣業者から人を入れ、景気が悪くなったら首を切るなんてことが横行するようになりました。

CSK本社ビル

結婚相談所から結婚情報サービス業へ
 昭和30年代までの結婚話=お見合いは、親戚の人達によって持ち込まれることが多くありました。結婚相談所というのは以前からありましたが、再婚とか、ちょっと特殊な条件が付いている場合だったと思います。昭和40年代頃は社内結婚が非常に多く、半数以上が社内結婚といわれたこともあります。就職は結婚相手を見つけるためというニュアンスが女性には濃厚にありました。同期で入った女の子なんかでは、この会社には良い男がいないから辞めるなんてことを言えた時代です。
 しかし、昭和50年代に入ることになると、結婚年齢がどんどん上がり始め、一部には以前の常識から焦る人も出てきて集団見合いなどが盛んになり始めます。そこで登場したのが結婚情報サービスでした。申し込みは会員登録から始まります。男女の社会的条件や心理テストによる性格判断を情報としてコンピュータに登録し、蓄積された情報に基づいて最適とされる候補者データを定期的に紹介していく「結婚情報サービス」が産声を上げます。

集団見合いの光景
高橋郁夫「東京時代」

 まぁ、今日に比べれば、まだ、幸せというか、そんなに大変な時代ではありません。まだ、男が優位でしたし。今は(2011年)は、『性格的にも、経済的にも、ルックス的にも、何も問題がないという意味だ。ひと昔前なら、お見合いで「よいご縁ですねえ」と周囲に祝福されて、とっくに結婚しているタイプ。または、会社で最初に女性に捕まって社内結婚しそうなタイプ…。つまり周囲に背中を押されて、自然に流されて結婚していくタイプの男性たちである。 自然に結婚できるはずの人が、なぜ結婚していないのか。その頃から「結婚には努力が必要で、自然に出会って結婚するのは難しいのでは?」と思う。さんざん自分も嘆いてきた、「出会いがない」という状況』だそうです。男受難であり女受難の時代です。

就職情報誌=リクルート)
 70年代の情報誌がより実際的な需要に応えるものに変容し、就職活動に目をつけた東大生の江副氏が就職情報誌を作り出し、やがて巨大企業リクルートが誕生します。こんなものがビジネスになる、しかも一大情報産業になるなんてのは、思いもしませんでした。70年代後半から始まる成長は、80年代アルバイト情報誌や女性向けの就職情報誌とらばーゆにより、その地位を確固としたものにし、膨大な利益と巨大な成長力は、やがてバブル時代にリクルート事件を引き起こすことになり、江副氏は不本意な形で経営から退き、リクルートも紆余転変としながらも、巨大企業として存立してます。
80年代創刊(From A、とらばーゆ)
リクルート社HPより