美味しい生活

 以前の時代には考えもしなかった豊かさがやってきます。給与から財形と呼ばれる住宅建設のための積立に対する優遇措置が行われ、住宅ローンが一般的になると、それまで大変な金額の貯蓄がなければ住宅の購入が図れなかったものが、サラリーマンでも住宅が手に入れられる時代がやってきます。サラリーマンにとって住宅を購入することが人生の大目標に浮上します。郊外に庭付き一戸建ての家を作ることが、男の甲斐性であり、ロマンになったのです。そしてその夢が実現していく中で、次に生まれたのが乗用車の購入があります。週末に一家揃ってレストランで食事をするというアメリカ型の生活が出現してきます。

 新婚旅行で海外を選ぶのも誰でもが可能になり、グアムから始まってハワイ、アメリカ西海岸は定番で、やがてヨーロッパ、オーストラリアに広がっていきます。結婚年齢は年を追うに従って上がっていき、恋愛結婚が当たり前、見合い結婚は急速に減少していきます。この時代は、まだ、職場結婚は数多く見られますが、それもやがて下火になっていきます。女性の社会進出という言い方をしますが、結婚しても会社を辞めない女性が増え、結婚しても、当時、駅前商店街を形成していた専門店に代わって拡大していくスーパーなどで、パートで働く女性が急激に増え、増える収入が、また、新たな豊かさを呼び込んでいくことになります。

(西武百貨店/PARCO/セゾン/WAVE)

 1973年に西武百貨店の社長に就任していた堤清二氏は、中学の同級生で奔放な性格の増田通二氏に、盛り場としては銀座、新宿に比べて見劣りしていた渋谷にPARCO(パルコ)をオープンさせます。堤氏は増田氏にすべてを任せ、彼に好きなようにやらせます。増田氏は、若者文化やアートとのコラボレーションをめざし、従来にないファッションがほとんどを占める新しいテナント式のショッピング・センターを構築し、若者達が楽しめるバラエティ感覚を作り出し大反響を呼びます。渋谷は、PARCOの立地する公園通りを中心に若者達が集まる巨大な街に変貌していきます。

 渋谷パルコの成功を機に、増田氏及び堤氏の行動に小売業界以外の人々も、その「文化戦略」に注目が集まっていきます。
──百貨店から先端の文化・情報を発信、客はまるでディズニーランドを回遊するように、渋谷に点在するギャラリーや劇場を巡って知的好奇心を満たす。快適なアメニティをロボットやニューメディアがバックアップしつつ、活動主体はあくまで人間本位。優れた文化を生む自由な社風と、互いに束縛を受けない緩やかな企業連鎖。重複事業までも認め、競合することが逆に発展的効果を促す──(Wikipediaから)

 現代アートを中心にした西武美術館の設営、アートや音楽に特化した書店アール・ヴィヴァン、それはやがてWAVE館に発展していきます。大型書店のリブロ、パルコ出版、ミニシアター、スポーツ館を作り出します。プライベート・ブランドの無印良品、斬新な取組みは、採算という面からは多くの疑問点を懸けられながら、その華やかで、新しい豊かさを実現していく力に、若者を中心に熱狂的とも言うべき支持を集めていくことになります。85年には西武の名前を棄てセゾンと名前を替え、バブル時代へと疾走を始めることになります。街作り、ホテル、リゾート開発、果敢なる挑戦の結末はバブルの時代で見ていただきたい。

 80年代はセゾン、そして会長の堤清二さんが誰よりも光彩を放った時代です。海外の古典美術の展覧会は、一介の小売業ふぜいでは開催できなかったこともあって、現代美術に傾斜した、百貨店として初めての美術館を西武百貨店の最上階、確か12階に設営します。美術館に併営する形でアール・ヴィヴァンという名の現代美術と現代音楽を扱う店を作ります。アールヴィヴァンは自ら現代美術の雑誌を作っていますが、アール・ヴィヴァンのスタッフ、展覧会の企画をするキューレーターとの間でペヨトル工房と交流が生まれます。同時代に作り出された夜想という出版物への関心、動向に、仲間内的に注目されていたことが大きい。
 セゾンという組織では、やり難いことをペヨトル工房を通じて実現させることもあったでしょうし、現代美術の枠の中での縛りもあったのでしょう。予算の限界もあったのでしょう。やがてアール・ヴィヴァンの発展系であるWAVE館というレコードや映像などを販売する店の看板雑誌の制作委託に結びついていきます。
 この成功に力を得て、西武は街作り(つかしん等)などショッピング・センターの積極展開を開始します。それに対抗する形でダイエー、イトーヨーカドー、イオン(当時はジャスコ)、倒産してしまったマイカル(巨大ショッピングセンターのマイカル本牧が有名)等も、また、巨大な店舗を日本全国の主要都市に建設する新たな小売業の時代が始まっていきます。バブル時代はその最盛期になりますが、先駆けとなった時代です。


堤清二氏                                                        池袋西武百貨店
1970年中央公論より

渋谷PARCO                                                   今は無き六本木WAVE館
つかしん(1985年創業)

 西武(セゾン)が作り出した時代の大きなうねりの中で、広告のキャッチ・コピーを書くコピー・ライターという職業やテレビCMのプロデューサー、プランナーという仕事に関心が集まって行きます。コピーライターの雄は糸井重里氏、TVCMでは川崎徹氏が次代の寵児になります。

糸井重里)
 コピー・ライターという職業があることすら知らなかったのが普通人というものでしょう。広告業界の片隅で広告の文句をいろいろとひねって考え提案していた人々は随分、前からあったのでしょう。当たり前のように誰が作ったのかっていうのは業界人しか知らない話題でした。それが西武百貨店のコピー、「おいしい生活」で一躍、そのユニークなコピーでスターダムにのし上がりました。本人の話では、当時、行き詰まっていて、仕事もどうしようかという瀬戸際だったというのですから世の中、分かりません。商品の機能だとか性能だとかを競っていた時代から、マーケティングに文化が流入する形が生れたのはこの時代です。アメリカ並みになってきたとも言えます。


(主なキャッチコピー)
「くう ねる あそぶ」 - 日産自動車「セフィーロ」
「ロマンチックが、したいなあ」 - サントリー・レッド
「あったかいなぁあったかいなぁって、兄貴は頭まであったかくなっちまった」- オンワード
「いまのキミはピカピカに光って」 - ミノルタ MINOLTA X-7(宮崎美子出演)


「TRAiNG」 - 東日本旅客鉄道
「君にクラクラ」 - カネボウ
「よろしく。」 - 矢沢永吉・ポスター
「やたッ。」 - RCサクセション・ポスター
「僕の君は世界一」- パルコ・ポスター
「あそんで、ねむれ」- パルコ・ポスター

(西武百貨店関係のキャッチコピー)
1980年「じぶん、新発見。」
1981年「不思議、大好き。」
1982年〜1983年「おいしい生活。」  
 大塚英志氏は、このコピーについて『「おたく」の精神史』の中で、こういう風に述べています。「糸井がうれしいと喜ぼうと消費者に語りかけているのは、階級が喪失し、誰でもが等しく豊かになった事態であり、中流幻想の左翼的肯定こそが根幹にある・・戦後の日本社会が富の再分配を徹底した一種の社会民主主義国家に関わっている」

1984年「うれしいね、サッちゃん。」
1985年「情熱発電所」
1986年「元禄ルネッサンス」

糸井氏は80年9月からビックリハウス誌上でヘンタイよい子新聞の連載を開始し次の時代の仕掛け人という形で影響力を強めていきます。




川崎徹
 川崎徹氏の場合は糸井氏よりも、CMというTVで何度も放映され、面白いという形でしたから、分かりやすいものでした。今でもCMがYouTubeに残されているくらい伝説的なCMになりました。彼も時代の寵児として糸井氏といっしょに、いろいろな所に顔を出していく、「文化人」になって行きます。

 1977年のキンチョールの「トンデレラ、シンデレラ」や1980年以降のキンチョール「ハエハエカカカ キンチョール」や富士フイルムCMでの「それなりに」、サントリービール「生樽」CMの「いかにも一般大衆が喜びそうな」など、数々の流行語を生み出すヒットCMを作っていきます。

金鳥CM:研なおこ                                                            

 
郷ひろみ
ワンサカ娘(レナウン)

 メディア・ブームがこの時代の特徴ですが、以降、続々とコピーライター属が出現します。土屋耕一眞木準さんなんかも有名です。

 CMを紹介する雑誌「広告批評」に関心が集まり、その編集長であり社主である天野祐吉も、テレビなどで引っ張りだこになって行きます。彼は昔の面白広告を色々掘り起こしました。


 吉本隆明は『実際の番組よりもCMをじっと見てしまうことが多いのに気がつく。どうしたってCMのある作品のほうが面白いのだから当り前なのかもしれない。そしてその中でも川崎徹のCMにはいつも笑わされてきた。「え、こんなのが広告になると、スポンサーは認めたのかな」なんて思いながら、広告主のみならずCMについて私自身が変わって受けとめてしまっていることにしばしば思いいたるのだ。』


 時代は商品の機能や品質の差異を訴えるのではなく、商品というよりCMが「面白い」とか、斬新であることがキーワードになる、それで商品が売れるかどうかよりも、取り敢えず注目される、関心を呼ぶことに重点を置かなければならない状況に入ってきた、豊かさがある水準を超えて来たことを象徴しています。