有機野菜 有機農業

 こういう所に有機野菜が登場するのに違和感があるかもしれませんが、時代の雰囲気の大きな構成要素でした。70年代に公害への関心が高まり、公害の防止技術が発展していく訳ですが、その思想的なバックボーンの一つに神智学の基盤となっているエコロジーがあります。当時の精神世界ブームに強く関係しています。精神世界の現実への入り口とも言うべきものかもしれません。70年代のヒッピー運動が源泉ですが、現代文明への警鐘もありますが、具体的な薬害への告発も絡み、大きく発展していきます。
 この表題をエコロジーなり、その頃の流行語でもあります地球を1個の生命体とするガイアなどとしていないのは、それは精神世界の方に譲って、ここではあくまで具体的に実現されたもの、実現しようとしたものに限ろうとしたためです。

 農産物を、特定の土地で作り続ければ土地は疲弊し、病害虫が発生し、望む収穫物を得られなくなるということは、広く知れ渡った事実です。大量生産大量販売を基盤とする現代文明の豊かさへの追求では、この難題を農薬及び化学肥料の大量投入によってクリアしようとします。そのことが最初は生産者自身に降りかかり、防護服を着た作業を強い、次には残留農薬として、長年の摂取の結果、癌や各種の障害を引き起こすことが分かるのに、30〜40年の歳月を経るまで気が付かずに進んできていたのです。
 この告発が、大きな反響を掴み出したのがレイチェル・カーソンであったのですが、告発自体は相当に昔からあったこと、日本では、土地が狭いという事情から連作障害に対応した試みとして、各種の農法の開発が行われてきた歴史がありました。その代表が次の3人です。紹介の内容はWikipediaからのものです。


福岡正信
 1947年から、不耕起(耕さない)、無肥料、無農薬、無除草を特徴とする自然農法一筋に生きる。栽培形態が最も自然に近い独創的な農法を実践、普及に努力し、特に多様な植物の種子を百種類以上集め、粘土と共に混合・団子状にした粘土団子を作ったことで有名になりました。その自然観、哲学は大きな影響を与えます。

岡田茂吉
 岡田の自然農法は、堆肥は活用するが、金肥や人肥、厩肥などの肥料や農薬を使用せず、土本来が持っている作物を育てる力を発揮させ、活用する。1934年(昭和9年)の東北の大冷害で農家の悲惨な状況を助けたいという思いからもあった。1936年から東京都世田谷区上野毛の邸宅にて実験的に作物を作り始め、1942年からは水稲にも取り組む。1950年(昭和25年)から「自然農法」へと改称し、1953年には「自然農法普及会」を発足させた。全人類の病貧争からの脱出、すなわち健康の実現、貧苦からの脱出、安全の実現を基礎として、新文明世界(=地上天国、理想世界)を創造することを目指す宗教運動世界救世教に発展していくことになります。宗教運動になってしまったことで岡田の自然農法は割り引かれた評価になりました。

永田照喜治永田農法
 作物を常に飢餓状態に追い込むことによって、植物が本来持っている力を最大限に引き出すのが狙いである。その結果、できた作物は通常販売されている野菜よりもはるかに多くの栄養を持つこと、そして野菜特有のアクが少なくなることなどが実証されている。また、土中の有機物が少ないので病害虫の被害も少ない。必要最小限の水と肥料で作物を育てることが特色であり、「断食農法」、「スパルタ農法」、「緑健農法」、「ルーツ農法」など様々な呼び名があり、トマトなどの生産では広く取り入れられています。3人の中で最も普及した農法といえるかもしれません。

中嶋農法
 中嶋常允氏が長年の研究によりたどりついた2つの基本技術で成り立ち、1つは土壌診断に基づく健全な土づくりの技術。2つは作物の健全な生育を維持する為の生育コントロール技術です。エーザイ成科研が積極的に推し進めています。

山岸巳代蔵(幸福会ヤマギシ会
 共産主義的なコミューンを目指しながら、宗教色の濃い幸福会ヤマギシ会も、この時代に入る頃に、その自然農法的なスタイルに一時、注目が集まります。もともと山岸氏が始めた養鶏法を基盤しており、ヤマギシ会自体は山岸氏の思想を受け継いだ二代目によって形成されたものです。その特異なコミューンは、70年代の全共闘運動時代に絶賛されたことがあり、多くの若者を引き寄せますが、80年代も環境問題から支持者を増やしてきました。しかし、財産の拠出や外との交流を拒むスタイルは、非難を浴び、生産物も本当に無農薬なのかという疑問が出されており、注目はされましたが、一般に大きく広がることはありませんでした。

 その他EM自然農法、米の生産に取り入れられている例の多い、あいがも自然農法、生物農薬として、まるはな蜂を使ったトマト栽培など、様々な試みと、便乗的な商法が繰り広げられていったのです。



 日本で発達した有機農法は、農水省や農協などの抵抗で日陰の存在で、変わり者がやっているという判断しかなかったのが、日本の篤農家や生協などから学んだ欧米から、極めて論理的な厳しい環境基準が発表され、相変わらずの話ですが、欧米の動きを見つけた学者や官僚達が騒ぎ始める、元は日本なのにという現場の思いを弾き飛ばす形で始まります。それでも大量生産に慣れた生産者サイドからの抵抗は根強いものでしたが、消費者の自然嗜好や環境配慮の増加を背景に、2000年になって有機農産物認証制度が発足します。

 何ごともそうですが、こういう制度ができた頃には、ブームは下火になり、減農薬減化学肥料は当たり前に取り入れられるものとなって、消費者の関心は大きく落ちていくことになりますが、80年代半ば辺りからの大騒ぎの中で、有機野菜を初めとした自然食品チェーン(ナチュラル・ハウスなど)の成立や、宅配の「らでぃっしゅ・ぼーや」の大発展など、様々な形の取り組みが流通側でも起きてきます。先行した欧米では我が国よりはるかに大きな狂騒状況が生まれ、アメリカでは自然食品のスーパーのチェーン、ホールフーズ・マーケットWhole Foods Marketが形成されたりしています。ある種の農産物の貿易障壁として機能した側面がヨーロッパにはあり、イタリアを中心に、地産地消ともいうべきスローフードの称揚が起きたりしていきます。
青山店
宅配用のトラック



 自然食品ブームは精神的な方には、あまり行きませんで、環境問題が喧しく騒がれる、それも技術上の話が主体になっていきます。文明への問といった方には時間が経つにつれ、益々、遠い話になっていきます。