沢山のビデオ映像がある場合と、消去される時期があるようで、貼り付けてあるものが見えない場合は自分で探して下さい。

お笑いブームの前の話から。
モンティ・パイソン 。イギリスの放送は69年から始まっているのですから、時代的には前なのですが、日本でのTV放送は76年の深夜番組です。私が見たのは深夜番組ではなかったですから、もっと後になります。 広川太一郎が吹き替えをして、それが素晴らしく面白かったので、本物を見ても、ちっとも面白く感じられないですが。伝説的なコメディ番組であり、そのハチャメチャぶりは、オレたちひょうきん族などに引き継がれていったと思います。この映像ははちゃめちゃじゃないですが。

お笑い〜MANZAI〜ブーム

 80年代に入る頃から、お笑い=漫才ブームが爆発的に起きてきます。フジTVが仕掛け人であったにしても、東京、大阪の演芸場に集まった才能は並々ならぬものがあり、漫才ブームが終わり、グループが解散しても、TV界に君臨し続けます。中でもビート・タケシこと、北野タケシは並外れた才能を発揮し、映画監督になり、ベネチア映画祭のグランプリに輝き、世界的な映像作家になっていきます。そうなってもお笑いであるという本質を失うことなく活動する姿は従来、ないタイプの芸能人であり、知識人であります。

 さて、Wikiからの抜粋です。フジTVでThe MANZAI画期的な漫才番組が作られます。客席に若者しか入れない、舞台セットを豪華でポップなものにする、ネタの冗長な部分に編集を入れるなどの演出によって、若者に大ヒットします。『花王名人劇場』と並んで漫才ブームの基を築いたとされています。 1980年4月1日の第1回放送の出演は、やすしきよし、星セント・ルイス、中田カウス・ボタン、B&B、ツービート、ザ・ぼんち、紳助・竜介の7組。



B&B
 漫才ブームの中で一番最初に人気が出たのはB&Bでした。Wikiから抜粋しますと、「アイドル的人気を得てブロマイドが売れるという現象まで引き起こし、80年の秋からフジテレビ系列で放送された「笑ってる場合ですよ!」の総合司会を務めるなど一世を風靡した。
 岡山県や広島県の郷土性をあつかったギャグが多く、代表的なものに『モミジマンジュウ!』がある。他に当時アフロヘアだった洋八の頭に向かって『小野田さ〜ん』、笑いながら『メチャメチャ陰気やで〜』、『リンゴとみかん、どっちがバナナ』などが有名。こうした郷土ギャグ、オーバーアクションの一発芸、ボケだけによる機関銃のような一方的な喋りなど」が特徴でした。 B&Bは人気が落ちるのも早く、83年に解散。細々とした活動を続けるだけで、実質的に芸能界から長い期間、消えた状況になります。




ツービート
 しゃべりのテンポが速いのに加えて、“毒舌”で売り出し、“ジジイ・ババア・ブス”を多用して観客を挑発し、反発と同時に若い層に強い人気がでます。中でも有名なのは「赤信号みんなで渡れば怖くない」などがあります。しかし、漫才ブームが巻き起こった以降では、コンビを組んでいる時間は短く、タケシは81年にはソロ活動を開始します。私自身も、この二人の漫才を見た回数はそれほど多くはなかったように思います。




紳助・竜介
 リーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」で売り出します。漫才ブームに乗って人気は急上昇していきます。このコンビも長続きせず85年には解散。島田紳助はソロ活動に移っていき、司会者など長く、成功した芸能生活を送りますが、他のコンビと同様に相方はなかなか難しい人生になります。



ザ・ぼんち
 B&Bの解散の後を受けて、漫才ブームのちゅう後期を支えたといわれます。81年、「恋のぼんちシート」でフォーライフからレコードデビュー、売上80万枚、オリコンでは最高位2位になる大ヒット曲となり、日本武道館を満員にした初の漫才師となるなどの活躍の後、86年に解散します。おさむは、オレたちひょうきん族などに、おさむちゃんですーで売り、その後、俳優を。相方のまさとは、漫才師として活動を続けていきます。



オール阪神巨人
 漫才の王道であるしゃべくりで、やがてナンバーワンになっていくコンビです。漫才ブームではそれほど目立つことは無く、地道にがんばって行きました。



コント赤信号
 この中ではツービートに次ぐ東京漫才です。漫才番組よりもコントを活かした番組の出演が多く、下の俺たちヒョウキン族にも多く出演しています。


やすきよ
 漫才ブームが起きた時には、押しも押されぬ大御所で、東西の漫才ブームのリーダーとして、常に最後の締めをやっていたように思います。 きよしが国会議員(参議院)に当選した事や、やすしの度重なる不祥事がきっかけで活動機会が激減。やすしが吉本興業の専属契約を解除された事で、コンビは89年に解散。 やすしの死で正式にコンビは消滅することになります。天才と言われたやすしによる「一見つっこまれながらその実漫才をリードしてゆくボケ」という手法が、漫才の幅を広げ、後に続くお笑いの大きな影響を与えることになります。




オレたちひょうきん族
 The MANZAIのスタッフと出演したお笑いタレントが総移動して作られたバラエティ番組で81年にスタートして89年まで続きます。“楽しくなければテレビじゃない”をキャッチフレーズとしたフジTVの路線を体現し、お化け番組と呼ばれたドリフターズのTBS『8時だョ!全員集合』を潰すという快挙を成し遂げたのです。 タケちゃんマン扮するタケシがTVに絶大なる力を奮う契機となったと思います。プロデューサーであった横沢彪さんも引っ張りだこになります。








以降、お笑いは隆盛を続け、80年代にはとんねるず、90年代には ダウンタウン、90年代の半ばに 爆笑問題 などを生み出していくことになります。しかし、お笑いの粗製濫造は、「楽屋落ちネタ」を蔓延させることになり、次第に活力を失っていくのですが、この時代はまだ、それを楽しむ時代でもありました。 楽屋落ちを楽しめる世代と、そうではない、より年をとった世代、私なんかはそちらに属する訳で、ちっとも面白くない、自分達だけで笑い転げているという感想をもつようになり、 次第にファン層は縮小され、楽しめる層はやがて、ある特定の世代になっていきます。80年代のとんねるずの活躍は同時代を生きた人には、写真も出さない扱いは不満でしょうが、お笑いの評価は私には低いからです。
 この時代に属するお笑い系とはやや異なる場所にいたのがタモリです。TVが生み出す多様なタレントの一人です。


イッセー尾形  この人の才能は大変なものですが、どうやってここまで来たのか。



Snakeman show
 こちらは見たことがないのでコメントはなしです。

ウオーターメロンとのライブ