エスニックブームはこのページに書きますようにアメリカの影響が濃いものです。その一方で日本側も、円高を背景に東南アジア進出が続き、工場が多く移転し、それを契機にして東南アジアを中心に経済発展が起きてきます。当時、アジアの4匹の龍(台湾、韓国、香港、シンガポール)ともいわれたNICSの発展、それを追う形でタイ、インドネシアなどが発展していくのです。多くの日本人サラリーマンがアジア地域に派遣され、家族も駐在は少なくとも、訪問はかなりあり、これらの経験がエスニック・ブームを後押ししていたと思われます。

Ethnic エスニック

(料理)
 80年代に入る頃、アメリカでエスニック、東南アジア、インド、南アメリカなどの各国の文化に強い関心が持たれるようになります。エスニック・ブームが起きてきたのです。何故だかはよく分かりません。このブームの最初の現れは、料理です。アメリカでの最初はどこであったのか、西海岸なのか、東海岸なのかはよく分かりませんが、職業柄、最初に気づいたのはメキシカン・ブームが起きたことです。タコスですが、アメリカらしいファスト・フード・チェーンの出現です。ピザはもっと早いですがエスニックという感じではなかったでしょう。その次にアメリカからの情報は日本食ブームでした。確かベニハナが話題になり、寿司でカリフォルニア巻が出現したことです。おや?何が起きているのかという感じでした。アメリカの食、いわゆるカウボーイ食というべき、馬鹿でかいステーキ、フライドポテト、ハンバーガー、グリルチキンというシンプルかつ日本人からみれば美味くも何ともない食が変化し始めたのです。美味しいものを食べたという欲望なのか、それとも新規なものを食べたいのか、よく分かりませんが、エスニック料理への関心が高まり、移民たちによるエスニック料理店がニューヨークを中心に多量に出現します


 ニューヨークは人種の坩堝ともいわれますが、移民達が街区ごとに集まっているために、その地域の飲食店にニューヨークの金持ち達が集まることで大いなる繁栄と新しい店がオープンしていきます。上の2冊の本が出版されるなど我が国でもニューヨークが変わったということで関心を集めていきます。代表的な街区の絵を下に本から取りました。

ユダヤ人街

イタリア人街


 さて、日本です。先にあったのはエスニックではなく、イタリアンでした。70年代の少なくとも半ばまでは、イタリアンといえばスパゲッティ、ミート・ソース、ナポリタン、そしてピザ、つまり完全にアメリカナイズされたイタリア料理でした。他にイタリアで料理があるとは普通の人達にとっては思ってもいない時代です。それでもお洒落な感覚でした。喫茶店のランチメニューであり、洋食屋の定番でした。ファミリー・レストランが出現した時に、これらは当然のように組み込まれました。やがて我が国独特の和風スパゲッティ、イタリア人が見ると仰天するメニューが多数作り出されます。タラコ・スパゲティとか、納豆スパゲッティとかです。ここまでは70年代です。
 まず本格的なフレンチの導入が辻静雄氏による調理専門学校を中心にして始まります。この流れの中で、イタリアンも80年代から本格的な普及が始まったのでしょう。イタリア人シェフの来日、あるいはレストランの開業も続きます。スパゲッティがパスタと言われるようになるのはこの頃です。
 アメリカのエスニック・ブームが日本にも飛来します。グルメ・ブームが後押しします。エスニックも、従来からある中華料理では、四川料理、台湾料理が人気を集めます。インド・カレーもインド人シェフによるレストランが広がっていきます。そして東南アジア料理、タイ、ベトナムへと。大分、遅れて韓国料理も参戦します。このエスニック・ブームがアメリカからの影響だということに気づいている人は、ほとんどありません。アメリカに比べると南米系がいくつかはできたけれど、繁盛店は少なかったことと、東南アジア系が中華料理との親近性から、日本人の好みに合って、相当に普及したことがあります。また、アフリカ系やトルコを除くと中近東の料理がほとんど入らなかったことも特徴です。

 エスニック・ブームは海外旅行ブームに結びついていた感じは、初めはそう濃くありません。それでも次第に海外旅行自体が一般的になってくる中で本場の料理を食べるという感覚やら、向うで食べたものをという欲求があったと思います。ただ、日本人の口に合わなかったものは、普及することはありませんでした。むしろ激辛ブームという奇妙な形があり、ただただ辛いというものは長く続きます。

宝島1985#9 86#9

 2010年の今日でみると、それなりの定着はしたけれど、家庭料理に入り込むことは少なく、大都会はともかく、地方都市では1,2軒はあっても、それ以上になると、地域にブラジル人が多いなどの特殊な例を除くと、大分、落ち着いたという感じはします。


(ダンス)
 精神世界ブームの影響もあって、身体の中に精神的なものを取り込む、身体で理解しようという動きが出始めます。暗黒舞踏は切り開いた地平線から、もう一歩、進めようとする人達にも強い関心を呼び起こします。アジアの古典舞踊への関心です。海外からダンサーの公演が行われ、海外に修行に出かける人達も多数出てきて、彼らが帰ってきて、日本で舞踊教室を始めるという形で、じわじわと普及しているというのが、現状です。精神世界ブームは頭でっかちの、妄想に進んでいきますが、肉体で感じ取る精神世界は、身体の訓練を噛み合わせていますから、妄想に取り込まれる部分が小さく、強固なものになります。

○インド
 インドの古典舞踊は、紹介文によれば、『インドには数多くの伝統舞踊が存在する。代表的なものとしては、南インド、タミル地方の巫女たちの舞踊に起源を持つバラタナティヤム、同じく南インド、ケーララ州の伝統舞踊の粋を集めて作り出された不可思議なパントマイム劇カタカリ、北インド、イスラムとヒンドゥー双方の影響を受けて成立した躍動的な舞踊カタック、北東インド、マニプール州の民俗舞踊から生まれたマニプリなどがあり、とくにこの四つの舞踊を総称して、インド四大舞踊と呼ばれている。』内容は紹介の方を参考にしていただくとして、ここでは画像を示すに留めます。

バラタナティヤム                                           カタカリ

○バリ
 バリ舞踊はケチャやレゴン、バロン・ダンス、憑依舞踊のサンヒャン・ドゥダリがあります。詳しくはWikiまたは専門ページを参照してください。




○タイ
 タイの古典舞踊は、繊細な美しい指の動きとしなやかな身のこなしで表現し、木琴や笛、太鼓などタイ独特の楽器で編成された楽団の演奏を伴奏にして踊られます。その内容の詳しくは、インターナショナル・タイ・ダンス・アカデミーに詳しく掲載されていますので、そちらを参考にしてください。タイの古典舞踊は立派に保存されていますが、戦乱の中でカンボジアの舞踊は壊滅しますが、戦後、多くの努力によって復活しつつあります。


○朝鮮
 朝鮮半島の宮廷舞踊のようです。韓国伝統舞踊で検索をかけると、かなりの数の画像が出てきます。画像は80年代のものではなく、これを作っている2010年代のものです。
 

 朝鮮半島の現代舞踊は、石井漠さんの弟子だった崔承喜さんが切り開いていまして、なかなかのものがあるのですが、ネット上に出てこないので、戦前の崔承喜のものと、それを受け継いでいるとされる白香珠を置いておきます。

白香珠                         崔承喜


(旅)
 エスニックブームの前後から気軽に行ける海外旅行先として東南アジア、中でもタイに人気が集まり、タイの文化、仏教の親和性も手伝って人気を集めます。表の観光も、この下に紹介するような観光の裏など数多くの本がかかれます。




写真は樋口英夫「タイ、黄衣のゆらぎ」
バブル崩壊以降も、この流行は続き、西原理恵子さんの漫画で身体を使った突撃取材的な笑いはなかなかのものです。