モダン建築というと64年の東京オリンピックで数多くの建築を手がけた丹下健三が挙げられるのでしょう。丹下の近代主義、美しく切れ味鋭いプロモーションが醸し出す壮大なスケール感はオリンピックという舞台、コンクリートの無機質な打ちっ放しがその特徴でした。今なお数多く残るモダン建築物が、コンクリートの打ちっ放しが故に薄汚くなっているのは、近代という時代そのものなのかもしれません。
Post Modern建築
磯崎新

 機能性を徹底的に追及していたモダン建築は、70年前後からアンチテーゼとして、装飾性、折衷性、過剰性などの回復を目指したポストモダン(建築)と呼ばれる運動が展開されるようになります。ポストモダンの我が国での旗手は磯崎新であることに異論は少ないでしょう。ただ、磯崎自身の日本における設計・建築されたものは多くなく、評論家として建築業界を引っ張る形が多かったように思います。その評論を現在、読むと、その意味を読み込むのに、ひどく苦労します。まぁ、私の知識が少ない部分もあるのでしょうが、70年代の思考であり、70年代Avangaldに入れるべきではないかと思う点も多々あります。私が建築家ならば、きっとこの時代よりは70年代に区分していたでしょう。
 それでもなお、この幻の黄金時代で取り上げようというのは、この時代にポストモダンが建築様式を超えた流行語のようになって行ったことがあります。ポストモダンは美人コンテストにおける誰を選びかの考え方によく対比されます。絶対的な美の基準を設定して、それに合う、近い人を選ぶ古典的な思考、自分の好き嫌い、自分が持っている美の基準で選ぼうとするモダン的な思考、そして自分と同じ審査員達が誰を美人を選ぶかを考えて勝ちそうな相手を選ぶポストモダン的な思考です。
 まぁ、大変、分かりやすい譬(たと)えですが、しかし、これで何が分かるかといえば何も分からないという、実にニューアカ的な思考というべきもので、すべて上滑りしていくものです。実際の建築では、こんな言説は通用しませんから、ポストモダンは、私にはやはり建築の中で言われるべきものだと思います。

 機能性の追及という形で、ある種、建築家の想像力を摩滅させる流れから、装飾性などを取り入れる形で変化していく訳ですが、圧倒的多くの建築、特に事務所用に提供されるビルディングは圧倒的にモダン建築であり、ポストモダン的なものは、そこに紛れ込んでくるもので、建築家が思うほどに我々、一般人が感じるものは多くありません。それでも時折現れる異形な物にハッとさせられる、まぁ、そんなものでしょうか。様式として確立されるには、現代という時代は、過剰なる創造性によって不可能なことなのでしょう。


磯崎新:御茶ノ水スクエアA館                  北九州国際会議場

東京グローブ座



 この時代に世界的にも知られる建築家が多く輩出します。1937年生まれで、中銀カプセルタワービルや国立民族学博物館などの黒川紀章、京都駅ビルやヤマトインターナショナルの原広司、江戸東京博物館などで有名な菊竹清訓、葛西臨海水族園などポストモダンというよりモダニズム建築の代表とされる谷口吉生がいます。
 磯崎新と同世代の
安藤忠雄は、Wikipediaを読むと、24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出たことが、その後の建築に大きな影響を残しているようです。知名度では磯崎新には一歩、及ばない面がありますが、その一方でこれは安藤忠雄の作品だと、素人でもよく分かるものがあります。

大阪府立近つ飛鳥博物館安藤忠雄

下町唐座

渡辺豊和余呉森林文化交流センター
伊東豊雄   八代市未来の森ミュージアム

太陽「建築の近未来」
北河原温ビッグパレット福島

 ど素人なのでモダニズム建築とポストモダンの区分けが、どうも今ひとつ分からないのですが、梵寿綱のアールヌーボーを髣髴とさせる建築は、非常に分かりやすい。私の好みからすれば、こういう方が好きですが・・・・。


向台老人ホーム(社会福祉法人向会)


ラ・ポルタ和泉の門とマインド和亜
ドラード早稲田(和世陀)
 建築史家の藤森照信氏の「昭和建築」という本を読んでいたら、ポストモダン建築として石山修武氏の幻庵と、石井和紘氏のシャイロルーフが取り上げられていました。ここには時代の先端的なガジャエット的なもの、廃墟的なものがあるとあり、ポストモダンの行き着く先を示すようで興味深いものがあります。
石山修武「幻庵」

石井和紘「シャイロルーフ」

 バブルに突っ込む頃には空間プロデューサーという職業が誕生し、建築、構造物を超えて、そこに集まる人々との関連が強まっていく訳ですが、この時代の高名になっていく建築家の多くは、時代の先取りとなり、コンペによって国際的な活躍の場が与えられると同時に、日本においても海外の建築家にも大きく窓口が開けられていく契機となっていたのではないかと思います。
 時代はデザインを強度に重視する流れに向っていったように思います。時代はアート・ディレクターとか、キューレーターとかが新しい職業分野として注目され始めていました。フードコーディネーターが登場するのも、この頃です。現在でも同じだと思いますが、それはひどく定義不能であり、何をする人かも定かではなく、個人性、才能に負う部分が濃くありました。

 国際的に活躍する日本人建築家は、無関係の第三者である私自身でも誇りに思えるものがありますが、欧米で認められるということは、そのデザインがグローバルなもの、欧米の価値観に沿ったものであることを意味しています。さて、本当にどうなのか。日本の独自性はどこに行ったのかと思う部分があります。というのも最もポストモダン的な建造物は我が国ではラブホテルが最大のマーケットであり、大量の建物を産み出しましたが、ラブホテル自体をこれらの建築家が研究あるいは設計したことはなかったからです。ラブホテルに近似しているのは梵寿綱氏であることは何か奇妙な感じがします。
 こんなことを書くのは、日本の現在の文化の多くが欧米を価値の基軸としたものであり、劣化コピーであるということを忘れてはならないからです。本当に日本人に愛される、尊敬される建築であるかどうかを、私は問いたいのです。