可愛い革命=少女達から大人の世界へ

 小中学校の女の子達による可愛い革命と呼ばれる状況は、当然のことながら同時代性は私にはありません。子供でもいれば違ったでしょうが・・。後から、おや、こりゃぁ何だろうなという感じです。大塚英志氏の数冊の著作物(少女民俗学、おたくの研究など)を参考にしています。間違っていたらごめんなさい。
 初めて若い女性から「かわいい」と発せられたのを聞いたのは何時だったか、記憶にはないのですが、あらゆる現象に対して「かわいい」、「かわいくない」という強烈な二分法が始まり、瞬く間に中年以下の女性の共通の価値観になっていきました。中年の男であった私には、何がかわいくて、何がかわいくないのかがさっぱり分からない状況が何年も続きましたが、やがて、こういうのが可愛いというのかなぁぐらいには分かるようになりました。このギャップは年齢差以上のものがあったでしょう。この流行は単なるキャラクターの流行ではありませんでした。少女達は自分の持ち物、自分の部屋、自分に関連するあらゆるものを「かわいい」で埋めていく、デコレートさせていく現象が起きてきます。男の子がオタクに嵌っていくとほぼ同時期、女の子達は「かわいい」「かわゆい」世界に嵌っていく。自閉的な空間を手に入れたのです。


(キャラクターの爆発的流行)
 私自身がキャラクターの世界で何かが起きていると知るのは、当然の如く、マーケティングの世界でです。特にサンリオがハローキティで大成功を収めたことに刺激を受けて消費財、食品とか日用雑貨を販売する企業がキャラクターによる効果を推し測り、自らキャラクターを作り出すのか、既存のキャラクターを使用料を払って使うかの問題が出てきた頃ですので、最初の爆発的な流行を知りません。
 私達の世代は、キャラクターなんぞという、ある種の贅沢、機能を越えた何かには無縁だった世代ですが、それでもスヌーピーやデニーズの映画や漫画はよく知っていました。また、我々の世代ですと鉄腕アトムとか、鉄人28号とか、漫画に由来したキャラクターが付いているものを欲しがる気持ちは分からないでもありません。でも自分が大人になってしまうと、どこに惹きつけられているのかは、未だによく分からないというべきものです。
 しかし、マーケティング上は、そんなことを言っているレベルではありません。商品の端に、ちょこんと付けて置くだけで、それこそ何十万個のオーダーで売れ行きが違うのですから。メーカーによるキャラクターの奪い合いが起きたことと、似た様なキャラクター、コピーだか、亜流だかのものが溢れかえる事態を迎えます。


 この時代を先導したのは、スヌーピーやデニーズも根強い人気キャラクターでしたが、サンリオが生み出したハローキティであったことは間違いありません。日本発の初めての巨大マーケットを作り出したこと、キャラクターの威力を見せ付けたこと、10年をはるかに超える非常に長い人気を誇るものになったことがポイントでしょう。並みいる類似キャラクターをなぎ倒していった強さも上げられるでしょう。小中学生中心だった人気は、次第に上の年齢層にまでファンを広げていく形もサンリオの企業努力という面から特筆すべきものがあります。
 Wikipediaによれば、ハローキティは、1974年に誕生、ただその頃はまだ名前がなく、75年に不思議の国のアリスに登場する猫のキティに由来するという名前キティが命名されます。以降、家族や友達を増やしてキャラクターとしての成長を遂げていくことになります。
 キャラクターを作り出し、直営店によりファンシー雑貨を売り、キャラクターを食品メーカーなどに販売してロイヤリティを得る、今風に言うビジネス・モデルは、当時、皮肉を込めてサンリオ商法と呼ばれ、本物の商売とは違うという、ある種、バカにした言い方でした。サンリオは、この無形の資産を使って音楽、出版、映画、テーマパークの設営などを積極的に展開し、巨大な企業に変貌していきます。

 余談ですが、サンリオの創業者辻信太郎氏は、バブル時代に確か株だったかと思いますが大穴を開けてしまい、本業の方は抜群の黒字にもかかわらず、赤字に転落、それを救ったのもキャラクター・グッズであったという話がありました。



少女漫画の変遷

 70年代の後半くらいから、乙女ちっくと呼ばれるジャンルが少女漫画の中に生れてきていたようです。そういう風に言うのは私自身がまったく同時代でありながら読む対象でなかったからです。Wikipediaによれば、 『りぼん』(集英社)誌上で活躍した陸奥A子田渕由美子太刀掛秀子の3作家から始まった漫画群で、柔らかいタッチの絵柄で、アイビー風のファッションや、日常的な会話、内気、ドジ、容姿のコンプレックスなどの性格を持ちながら、男の子に好きだと言われるという展開、また編み物、手作りお菓子、洋風の出窓といった小物類などで、少女達と等身大の感性が表された恋愛漫画が、『りぼん』の付録と共に大きな広がりを持って、「かわゆい」文化を構築していったようです。下に述べる変体少女文字の創始者にも目されています。24年組の中で大島弓子は、乙女ちっくの方に入れておきました。

陸奥A子                                            田淵由美子
太刀掛秀子


ちびまる子ちゃん(さくらももこ)
 ハローキティから10年を隔てて、さくらももこによる漫画ちびまる子ちゃんが雑誌『りぼん』に連載されます。昭和40年代の静岡県清水氏を舞台にした小学生のちびまる子ちゃんのコメディが大ヒットします。これも私なんかの年の人間には、何でという思いが強い作品です。まぁ、面白くないことはないけれど、何でそんなに人気があるのかが分からない。これは次に起きるクレヨンしんちゃんでも同じですが、漫画を超えて主人公が独り歩きを始めていくのでしょう。大塚英志氏によれば小物に付いたときの収まりの良さが抜群だとか。まぁ、そう言われてみると漫画の中身というより、可愛らしいというよりも、嫌味のない、ごく普通の女の子の顔というのも威力がありますな。

 Wikipediaから抜粋すると、通巻最高発行部数は3000万部を超え、関連商品、キャラクターグッズも数多い。1989年に西武百貨店の新聞広告で使われ、1990年のテレビアニメ放映とそれに伴う関連商品発売、その他のアニメ版を基にしたイラスト広告などでの利用によって「平成のサザエさん」と呼ばれるほどの国民的な認知度を得るに至る。1990年のキャラクター商品の売上額は年間100億円以上を記録し、1991年には700億円に達したとされており、「人間キャラは売れない」という業界のジンクスを覆した。

 ハローキティが事業戦略、デズニーを目指す中で構築されたキャラクターであるのに対して、漫画の主人公がキャラクターに変貌した、いわば偶然の産物から生れたものであることが特徴的なことです。そして単なる可愛いから、意思を持った存在へと変容してきている状況を示しています。


                                               グッズは2010年のもの

リカちゃん
 リカちゃん人形が登場するのは、1967年ですから、時代的には、このHPの時代設定よりも一つ手前に当りますが、この人形で遊んだ世代が、この時代にはまってくる形で、可愛い革命と言われるこの時代の大きな水脈となったことは、80年代論のほとんどがリカちゃん人形を取り上げていることからも分かります。

 ダッコちゃん人形で一世を風靡したタカラが、アメリカのバービー人形に対抗して作ったのがリカちゃん人形で、バービーの腰が極端につぼまって大きな乳房を持った、色っぽい肉体に対して、日本的な清楚で親しみやすい雰囲気によって、No.1着せ替え人形として玩具市場を君臨します。
 このリカちゃんに親しんだ子供達が、中高生になった時、彼女達の世界は、大塚英志氏の少女民俗学によれば、「『かわいいカルチャー』が誕生して以降、<かわいいもの>のみが存在することを許される無菌的な自閉空間を創出し、その中に籠るという行動をとるようになった」。そして「次第に少女と大人の差異が喪失し、リカちゃんの中にかわいい私を見出した彼女たちは少女のまま母親になっていく」と書いています。



(変体少女文字)
 この不思議な丸っこい文字(丸文字)を見始めたのは、一体何時のことだったか明瞭ではありませんが、山根一真氏の「変体少女文字の研究」を見た時に、アレかと分かるくらいには知っていました。1974年誕生、78年に普及という説が有力のようです。これは「かわいい私を表現するための、かわいい書体」とされるもので少女まんが誌「りぼん」が火付け役とされ、<乙女ちっく>漫画の代表的な存在であった陸奥A子氏の作品が最初といわれているようです。この丸文字は爆発的な流行になっていき、OLとして就職した先でも、丸文字で連絡事項が書かれ上司から怒られたという話も出ましたが、会社の文章でも相当に平気で使われるようになってしまった気配です。今は、どうなのか・・・。Wikipediaによれば、93年辺りで流行は終わったようです。


 変体少女文字は女の子だけに特有な現象ではなかったようです。おたく系の雑誌の投稿欄は女の子のイラストで溢れ、そこに描かれた少女達の文字は丸文字で書かれていた。おたくのロリコン趣味だけでは言い切れない側面があり、大人になりたくない、男になりたくない、なりたくてもなれない少女への強い憧れが支配しているのではないかと、別冊宝島の中で藤田尚氏が書いています。

 この時代から少し後だとは思うのですが、超微細な文字で手帳にびっしりと書き込む子供達が増えてきます。空白を埋めないと恐怖に駆られるようです。プリクラの写真も、驚くべきほど大量に小さいページの中に張り込んでいるのを見たことがあります。何かしらの不安が濃くなってきていたのでしょう。
土井隆義「非行少年の消滅」から

( 東京女子高校生制服図鑑)
 この本を最初に見た時は、えらい際物(キワモノ)だなと思ったものです。著者の意図は、ロリコン趣味だったと思うのですが、これが意外なほど売れたのです。それで評判になったのですが、私みたいな人間からすれば、ただ単に各学校の制服が並べられているだけで、何で?ていう感じでしたが、実際に購入した女子中学生達にとっては、進学先を決めるのに重要な情報ツールになったことです。かわいい制服が着れる学校に行きたいという、男の私には想像もできない発想が生れていたのです。強制される制服から、ファッションとして選択する制服になったのです。
 大塚英志氏は書きます。制服は少女であることを誇示する記号となったと。「制服を脱げば、オバサンになってしまう」、そうそんなことを言われてましたなぁ。後藤久美子(通称、ゴクミ)が坂本龍一と対談した話にも、そんな話に溢れていました。いかに可愛く着るかを競っていた。この流れから制服のDCブランド化が始まります。私立高校は生徒集めのために、いかに可愛い制服を提供するかを競う時代がやってきます。




時代は既にバブル期に入っていますが、というかバブルの好景気が制服のDCブランド化を進めていくことになり、トレンディドラマ「いつも誰かに恋している」の中で宮沢りえがDCブランドの制服を着用して出演し、さわやかさとフレッシュさで女子高生達の反響が大きかったと記されています(仲川英樹「サブカルチャー社会学」)。
宮沢りえ荻野目洋子、小泉今日子、中山美穂

テディ・ベア=クマの時代
 こういうヌイグルミの世界は、私らの世代にはなかったものです。女の子達にしても持っていなかったでしょう。衣類が豊富に、溢れてくる昭和40年くらいまでは見当たらないものです。今から30年以上前に、結婚したガールフレンドの所にお邪魔した時に、大きな確かタヌキのヌイグルミがあって、あたしはこういう趣味なのよと言われて、初めて大人が持つヌイグルミというのを体験したのです。でも、まぁ、全然、ワカランというのが正直な所で、何となく、あのフワフワ感なのかと。これまた、昔、ヨーロッパで子供だった姪のために、それこそ素晴らしい手触りのヌイグルミを買ってきたこともありましたが、テディ・ベアには、そういう感触はないんですが、さてさて何ですかな。
 まぁ、そんな私の感想はともかく、大変な人気のようで。テディ・ベア、特に古い物は、なかなかのお値段で、次第に19世紀末のビスク・ドールに近づいているようです。テディは高価なので、もう少し安いものが相当に出回ってくるのも、この時代の特徴のようです。




荷宮和子・大塚英志「クマの時代」光文社  イラストは白倉由美

ピーター・ラビット=うさぎの王国
 この間、ふと思い出しての追加です。何しろこの世界は疎いもので・・・。スヌーピー、テディベアそしてこのピーターラビットがこの時代を代表するものです。80年代にQPマヨネーズのイメージキャラクターに使用されたことは大きかったのかもしれません。ただ、かなり以前から英文学に係った女性を中心にしたカワイイ・グッズであったことは確かなので、QPはむしろ、これを利用したのでしょう。
 この原作者であるポッターがウエールズの自分の周りの田園を舞台にしていて書いたということもあって、ウエールズに行って生の雰囲気を味わいたいという女性が相当数、我が国でも出てきたことです。下の旅行書が代表的なものです。イギリスの美しい田園風景に満喫し何度でも訪れたい、旅行ブームが起きてきます。



ピーターラビットの世界       ワーズワースの詩とピーター・ラビットの世界に浸る
 御伽噺の世界に入りたいという気分というのは、この時代の精神世界ブームの閉鎖的な自己の世界に埋没していたいという気分やら、ウエールズなどイギリスに広がっているケルト文化への親和性も絡み合うものではないかと思います。

英国旅行 コッツウォルズ 「バイブリー〜イングランドで最も美しい村」



 そう言えば、フリフリ、ヒラヒラのピンクハススも、創業はこの時代でしたなぁ。金子功Wonderful House)さんがピンクハウス・ブランドを立ち上げたのは73年ですから、凄いブランドです。カワイイ系は実に長生きです。

                             岡崎京子「くちびるから散弾銃」

 ついでに、連合赤軍事件の女性リーダーのトップであり、数多くのリンチ殺人事件のおぞましき当事者である永田洋子もまた、このカワイイ系の信奉者というか、時代の体現者であったことは大塚英志氏の「彼女たちの連合赤軍」で初めて知りました。70年代に既に始まっていたカワイイの奥の深さを感じると共に、新左翼というのが女性解放では実はなかったということが、カワイイへ逃げ込む部分もあったのでしょう。
永田洋子獄中スケッチ

 80年代に入る頃から、「かわいい」も微妙に変わっていくようです。「かわいい」にメルヘンチックなものが削り落とされ始めるようです。私のような人間には、どこから先が受付けられないものなのかは判然とはしませんが、あらゆる商品を彩ったメルヘン的な紋様は次第に消え、そういうものに対する娘達の拒否反応が出るようになります。

 イギリス・ブームのようなものがあり、ファッション関係やケルト文化への関心があり、ガーデニング・ブームも起きてきます。園芸店がガーデニング仕様に変化して行く流れでもあります。ガーデニングの流行はバブル時代が最も隆盛だったようにも思います。まぁ、これも庭が小さくなり、日本式庭園では難しくなって、こ綺麗なイギリス風にしたという意味が大きかったのかもしれません。
2005年 第7回 国際バラとガーデニングショウ出展 準優秀賞受賞作品

猫ブーム
 この時代の頃から独身の若い娘が猫を飼うのが秘かなブームとして盛り上がってきていました。ペット・ブームの先駆けのような感じでした。ペットが主として子供や大人向けであるのに比べて、猫は独身女性や、多分、それに釣られてのことでしょうが、ハイセンスの業界人のあたりでマンションの中で猫を飼う形です。非常に長く続くブームになっていきます。この関係からか数多くの猫を中心とした漫画も作られました。この小林まことホワッツマイケルは大ヒットしました。