ハマトラ・スタイルのリカちゃん

おニャン子クラブ


おニャン子クラブ
 まずはWikipediaから、おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、1985年、フジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した、どこにでもいそうな素人レベルの女子高校生を中心に多数集めた女性アイドルグループ。素人らしさと親近感が、放課後の女子校感覚や部活動感覚、バイト感覚、クラブ活動感覚をイメージさせ、当時の中高生男子の間に爆発的な人気をもたらした。
 このグループの最大の特徴は卒業していくという儀式が付いていたことです。全体では50人を超えるメンバーが、85年から87年の2年半の間に、入学し卒業していくテーマを背負い、、「会員番号制」という、まるで学校の生徒番号のような仕組みを取り入れ、やがてモーニング娘やAKB48に引き継がれていく基礎を作り出したことです。
 人気もさることながら、この少女達が同年代の男の子達を巻き込む形で、「かわいい」の大きな流れを、社会の前面に出してくるものであったことは確かでしょう。大塚英志氏は少女の通過儀礼としてのおニャン子クラブを論じています。通過した後に何も用意されていない社会のあり様と、何もない空間に向って飛んだ少女、岡田有希子の奈落を語ります(少女民俗学)。
 時代の象徴として彼女達は何かを語りかけてきているのかもしれません。そして何より「かわゆい」を代表する存在であり、変体少女文字を書く少女達であったことでしょう。



セーラ服を脱がさないで

作詞家であり放送作家である秋元康は「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」を手掛けたことで知られようになります。とんねるずやおニャン子クラブの仕掛人とも言われ、数多くのアーティストの楽曲の作詞を手がけていくことになります。

ぶりっ子
 男性の前で、甘える、わざとらしい女らしさのアピールをぶりっ子と呼ばれるようになるのは、やはり松田聖子(80年デビュー)の存在が大きかったように思います。ぶりっ子は否定的な見方もありましたが、むしろ積極的に、肯定的に捉えられたのも、この時代の「かわいさ」を強調する時代背景にあります。今、彼女は60歳近くになっていますが、相変わらず少女のような物腰、歌いぷりは化物に思えてしまうところは、私の年齢からする価値観なのでしょう。
典型的なぶりっ子ポーズ
松田聖子
メドレー

JJの創刊
 女子学生のキャンパス・ファッションの登場は、1975年創刊のJJに始まるといわれています。1970年代末のサーファーファッション、またニュートラ(神戸発ニュー・トラディショナルの略)、ハマトラ(横浜トラディショナルの略)といったムーヴメントは『JJ』発祥であり、ファションリーダーとして時代をリードしていきます。
 創刊当時に推し進めたニュートラは、都会に住む若奥様ファッションの構築を目指したもので、純粋に、ファッションの楽しみを謳歌する、anan、nonnoとは違うコンセプトで作り上げていったもののようです。

 79年に首都圏の女子大生のキャンパス・ファッション「ハマトラ」が大流行します。ミニスカートに紺主体のハイソックス、かかとの低いペッタンコの靴、ワンポイント入りのポロシャツの組み合わせが基本スタイルです。清楚な「お嬢様」スタイルが、JJによって取り上げられ、ブレイクする原因となったのです。


なんとなく、クリスタル
 Wikipediaから。『なんとなく、クリスタル』は、田中康夫が1980年に発表した小説。略称「なんクリ」。売り上げは100万部を超えた。東京で生まれ育った比較的裕福な若者しか理解できないブランドやレストラン、学校や地名などの固有名詞がちりばめられており、それぞれに田中の視点を基にした丁寧な442個もの註・分析が入っており、当時は「ブランド小説」と呼ばれ、本作にちなんで女子大生は一時期「クリスタル族」とも呼ばれた。』
 まぁ、私なんかには全然、分からない小説でしたが、豊かさの象徴とも言うべきもので、オッサンが女子大生に持てるには、大変な努力と金がいるのだということだけは分かりました。

            

村上春樹
 この人のことを私は全然、買ってないんですよ。それで最後の方に付け加えておきます。ファンは多いようで、しかも世界中らしいです。どこが良いんだくらいなんですが・・・。まぁ、影響力はあるんでしょう、多分。
 この印象の最大は「羊をめぐる冒険」に描かれた60年代末の学生運動なんです。私が知っている世界とはかけ離れた馬鹿げたものだったからです。何を書いているんだ、こいつは!! まぁ、こういう読者もいるというだけなんですが・・・。



ユーミン
 ほとんど同時代を生きながら、音楽的に触れることがなかったので、書くことを躊躇う所がありますが、昭和50年代からバブルの時代を含め、音楽界のトップランナーであり、ユーミンの時代とも言われ、取り上げない訳にはいかない人であります。従いまして他の人の論評を参考に作ります。

 大月隆寛が別冊宝島80年代の正体、「一億総中流の幻想みんな<ユーミン>になってしまった」の中で、こんな話を入れてあります。「消費者のそれぞれの場によってユーミンという商品は、まるで私のことを歌っているみたいと思えてしまうからだ。」凄まじい映像喚起力であり、当時、普及が始まった乗用車と一体のものであるとしています。同じ文章の中で林真理子のユーミン体験を語っています。「・・その前の年の大ヒット曲は神田川ではなかったと思う。・・・そんな時、ユーミンのルージュの伝言はただただ、まぶしかった。私はこの歌は、日本で初めて現れた、屈託のないブルジョワ娘だと考える。それなのに私はこの歌が好きだった」


卒業写真
 彼女は確かに、豊かさに向って膨れ上がっていく時代そのものを歌っていたのです。四畳半フォークを弾き出し、暗がりと湿り気に満ちた70年代を軽々と乗り越えていったのです。私とはいかに離れていたかが分かるものです。

女子大生ブームの到来
 83年フジTV「オールナイトフジ」の放映により空前の女子大生ブームが起きます。80年代の終わりには、より若く、清楚を求めて女子高生ブームに向っていきます。

オールナイトフジ

ラブコメの流行
 Wikiから『元来少女漫画の世界で、ドタバタ喜劇的要素を伴った恋愛漫画〔特に「おくさまは18歳」(原作・1969年)は典型的なスタイルを生み出した作品とされる〕を指していた用語だったが、1970年代の終わりから1980年代の前半に入ると、「うる星やつら」(1978年連載開始)や、「翔んだカップル」(1978年連載開始)や、「タッチ」(1981年連載開始)などの作品によって少年漫画の世界にも近似の手法が確立された時代に、“ラブコメ”の略称と共に広く一般に定着した。』
 ある種の時代の気分でもあったのでしょう。原作者であった高橋留美子やあだち充に巨大な収入をもたらし、漫画が広く世間に受け容れられる土壌を形成していったことです。面白いですから私も読みましたが、熱中するようなものではありませんが、オタク達の一部は相当に入れ込み、コミケ同人誌の格好のパロディにも、『うる星やつら』のコスプレは今でも大人気です。
 ここにニューミュージック系やオフコースに代表されるラブソングが重なり合いながら時代を作っていくことになりました。