ピンクレディ=人形=アイドル

 70年代末に凄まじい人気を拍したピンクレディの話です。

ピンクレディ
 1976年、手足を露出したキラキラ光る生地のミニの衣装にリズムやビートを強調した曲調で、アメリカのショー歌手も顔負けの派手な歌謡デュオとして、ペッパー警部でデビューします。太ももを開いたり閉じたりする激しくセクシーなダンスと腕を音楽にあわせて振り回す動きに、子供たちが真似をし始め、それにつられるように大人たちも宴会芸などで熱心に覚えることが始まるなど、老若男女に幅広い人気を獲得。人気は爆発的に高まり、レコードは大ヒットし、オリコンで連続9曲1位・10曲連続ミリオンセラーを記録。オリコンシングルチャートにおける通算首位獲得数(63週)を達成します。前人未到と思われる大記録の打ち立てます。人気が高まるにつれ衣料品や文房具、食器、果ては自転車や食品まで多くの業種のさまざまな商品に彼女らの姿がプリントされたキャラクターグッズが販売され、ピンク・レディーという存在は想像を絶する巨額の経済効果を生みだすことになります。

ペッパー警部


UFO


ウオンテッド


 1979年に入ると、その人気が急速に陰りを見せ、1980年頃のテレビ番組などでは数年前のようなスーパーアイドルという扱いではなくなっていきます。そして1981年3月31日、みぞれ交じりの雨が降り続く中、後楽園球場でピンク・レディーは解散コンサートを開催する。活動期間は4年7ヶ月。なお当時の所属事務所は解散直後に倒産します。

 何故、人形という表題をつけたかを述べます。ピンクレディの動きは、あやつり人形のそれであり、同時に人間として、あるいは歌手としてのピンクレディでなかったことが、この二人のその後の運命を苦しめる結果になります。アメリカ進出の惨めな失敗は、それをよく物語っています。巨大キャラクタービジネスに乗れたように彼女たちは、リカちゃん人形あるいはセーラームーンと同じではあったのですが、生身の人間であったからこその人気と同時に、生身の限界でもありました。