Heavy Metal  Punk Rock
Sex Pistols


The Clash
 Paul Simononの伝説的なギターを叩き折る、パンクの象徴的なシーンとして記憶に刻まれます。音楽的にはパンクから離れていくんですが・・。

The Clash - Guns Of Brixton Video

Nina Hagen
 今やパンクの母と言われているそうですが、あの頃、仲間内で盛り上がっていたのは、ドイツのニナ・ハーゲン でした。やがてヘビ・メタに結びつくような何かを持っている感じがしました。まぁ、今、憶えている人がどれだけいるか。
Naturtrane

Klaus Nomi



 イギリスのSex Pistolsを代表とするパンク・ロックのムーブメントが日本で起きてくるのは70年代も半ばです。彼らは東京ロッカーズと呼ばれ、その代表的なバンドはLizard、Friction、Mirrors、ミスターカイト、S−KENでした。ただ、彼らのことは、残念ながら、ほとんど知りません。ですから有名バンドの紹介に留めます。70年代の前半までロックが不消化のまま、フォークとぐちゃぐちゃに混じりあった、見よう見まねで演奏し、作曲していたのが、70年代も半ば以降になると、日本でもようやくロックがロックらしく根付いてきた、そんな感じがします。


Lizard


Friction

83年9月のライブ 宝島83.11


 ヘヴィ・メタルバンドとして日本というより世界に向っていくバンドがこの時代に初めて出現してきます。Loudnessは85年、Vow Wowは87年に世界デビューを飾ります。
Vow Wow


Loudness



indies インディーズ
 80年代に入る頃、インディーズ・ブームが起きてきます。インディーズという言葉は、音楽の内容はともかく、世の中によく知られるようになります。ここに掲げたのは日本だけですが、欧米のインディーズ・バンドの紹介も相当にあり、レコード屋には沢山の知らぬ名前が並びます。流行っていた当時よりも今の方がよっぽど調べやすいのは皮肉です。

 当時、最も有名だったのがザ・スターリンとじゃがたらです。その頃にはロックから遠ざかっていた私のような人間ですら憶えているのですから、ロック・ファンに大きな人気があったことでしょう。ただ、一般性というか、TVに出演することなんかはありませんから、マイナーというか、インディーズであったことは変わりません。

The Stalin ザ・スターリン
 Wikiから、「79年にバンドを結成。85年に解散。日本のパンクロック・ハードコアシーンで脚光を浴びた。ラモーンズ直系の攻撃的なハードコア・サウンドに、言葉遊びを織り交ぜひねりにあふれた歌詞で皮肉を込めて攻撃する形式は斬新であった。ライブ会場では豚の頭や臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿し、客にフェラチオをさせるといった過激行為で悪名を轟かせる。」まぁ、派手で過激で、大騒ぎでしたが・・。裸になるのが好きだったのですかね。
  



2枚とも地引雄一「東京ロッカーズと80'Sインディーズシーン」K&Bより
FORCUSより宝島84.7


JAGATARA じゃがたら
 ど派手という意味ではザ・スターリンに負けていますが、こっちも相当に過激でした。


写楽81.5

村八分
山口冨士夫


タオ・セントラルステーション

写楽81.5

生理不順
写楽81.5

X-Japan
 インディーズ・バンドとして最高のレーベル売上を記録し、TV出演も盛んに行って大人気を得ていきます。パフォーマンス過重の演出に、一部にヘヴィメタルのイメージを決定付けたことへの非難も浴びています。



 ディスコの話と重なりあう部分も多いですが(ツバキハウスなど)、パンクやインディーズ・バンドの活躍する舞台を提供していたのがライブ・ハウスでしたので、途中ですがライブ・ハウスの話を挿入します。
 数あるライブ・ハウスの中の老舗はLOFTであるでしょう。 1976年に西新宿でオープン以来、99年に歌舞伎町移転、現在も営業を続けています。下の写真はBURSTに掲載された歌舞伎町移転時の西新宿での最期の写真です。 78年、東京ロッカーズと呼ばれるパンク・ムーブメントによってLOFTの雰囲気がパンク一色に一変したと、オーナーであった平野氏が雑誌の中で語っています。 東京ロッカーズ以降、パンクは次第にエスカレートし、毎日のような喧嘩、ステージ上での奇行の数々が新たな伝説を作り上げていきます。


BURST1999.2月号

(New Wave)
 この時代の音楽シーンを引っ張り始めたのは渋谷にあるロック喫茶NYLON100%であったのでしょう。次の時代を担う若者達が集まってきます。私自身は行ったことはないですし、よく分かりません。NYLON100%も後期に筋肉少女帯で有名になる大槻ケンヂの名前もあがっています。

ばるぼら「ナイロン100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流」より

町田町蔵(町田康)
 今や作家町田康の方が有名ですが・・・・。
宝島85.2

ゲルニカ 戸川純
 NYLON100%関連で、最も早く、そして最も世に知られた存在は、ゲルニカの結成直後にTOTOのウォシュレット・トイレのCMで衝撃的なデビューをする戸川純です。ゲルニカの活動よりも大変な多忙に巻き込まれていきます。ゲルニカには細野晴臣さんもからんでいたので、テクノのようですが、何か、そんものはぶっ飛ばしてしまうのが、彼女の特異なキャラクターです。

TOTOのCM 玉姫様
蛹化の女

 当時、ペヨトル工房では、ボイスのビデオ・ブックを作りますが、もはや世に知られることのまったくない、もう1冊「月世界旅行」を作ります。確かソニーか何かのTVのCFで月でロボットがピョンピョンと飛び跳ねているものを見て、権利を購入し販売しました。戸川純が歌っていて、なかなか楽しいメルヘンチックなものでしたが、まぁ、こんなものが売れる訳はありません。今あれば貴重ですが、いつの間にやら、消えました。

 テクノ御三家といわれるのは、ヒカシュー、プラスティックス、P-MODELですが、私的な感じではテクノじゃないなと思って、こちらにしました。もうちょっとドイツ的というか、音楽的なものが違うんですよ。御三家の皆さんのある種の軽さは、誰かが書いていましたが、ロックの重さを払拭して、次の時代に繋がっていく何かなので、音楽ジャンル的な区分はどうなんですかね。まぁ、素人の感覚ですから、特に主張したい訳ではありません。

ヒカシュー
 巻上公一は東京キッド・ブラザースに所属してアメリカに行ったのがこの世界に入る契機であったそうです。あぁ、そうなんだの感じですが、ミュージシャン以外の顔の方をよく知っている感じです。

20世紀の終わりに                                                      地引雄一「東京ロッカーズと80'Sインディーズシーン」K&Bより

TACO山崎春美が80年代に率いた、伝説的音楽ユニット


PLASTICS
グラフィック・デザイナーの立花ハジメ(g)、イラストレーターの中西俊夫(vo&g)、スタイリストの佐藤チカ(vo)を中心に76年結成。佐久間正英(key/ex.四人囃子)の加入により、先鋭的かつ音楽的なグループへと変貌を遂げる。


copy

P-MODEL
Art Mania

AUTO MOD



Zelda


84年宝島で発行された日本のロック・バンド特集です。



ホッピー神山
 全然、知らないのですが、ビジュアル的に面白いので載せました。wikiをみると結構、メジャーの歌手に楽曲を提供しています。