幻の黄金時代

                     ==昭和50年代論(1978〜1986)==

はじめに

 70年代Avangald(1966〜1978年)とバブルの時代(1986〜2006年)を作り終えて、この狭間の時代の10年を作ってみようと考えました。この時代を総括する感じの本は、80年代という形での各種の本があります。オタク系、少女系は大塚英志さんの書籍があり、同じような意味合いでサブカルチャー論もあります。最近の出版物では、当時のインディーズバンドの紹介もあります。作ろうと最初に思った時からすると、かなり豊富という感じもします。
 その一方で、この時代を否定的に捉える人達も多く、何もなかったといいます。確かに70年代のような若者層を中心にした学生運動を初めとした大騒ぎ、90年前後の社会全体を巻き込んだバブルの熱狂に比較すれば、おとなしい時代であったと思います。ただ、どのような時代でも様々なことがあり、そこに青春をかけた人々がいます。私自身から言えば、既に30代も半ばに達しており、若い時代のように、ビビットに当時の流行は追い駆けておりません。この時代、私はペヨトル工房という出版社と共にあって、時代のある部分の、さなかにいました。

 この時代を表現する共通の言葉がなく、この時代に生きた人達、特に若い人達の目に入る世界と、社会を動かしている人の世界はまったく別のものでありました。皆が同じものを見ていた時代の方が異様なのかもしれません。

 軽妙、焦燥、妄想、変態という言葉で、この時期を語ることに、この時代を生きたほとんどの人々は抵抗を示すだろうと思います。どこにそんなものがあったのかの問いに答えることは、私自身、証拠を挙げて反論することは難しい。ただ、70年前後の若々しく激しい芸術に関するエネルギー、そして90年前後の金が社会全体に湯水のように溢れ使われる経済バブルが膨張していく時代との狭間、日本は高度成長期を石油ショックという形で終焉を迎えた後、省エネと反公害の技術革新によって膨大な輸出で世界中から金を引き寄せ、新たな豊かさがもたらされます。それはバブルという形の、軽薄な贅沢さが極端に進んだものではない、欧米を離脱する形で新たな豊かさが滲み出てくるものでした。
 驚くべきことに、この豊かさをほとんどの人が意識できないほど、静かで全社会的な広がりを持っていたことです。ほとんどの家庭で車が持て、週末には家族で食事に出かけるのが当り前、当り前が不思議でも何でもなく感じられる。この時代に多くのサービス業が勃興してきますが、それらもずっと昔からあったもののようにしか感じられない。発展成長してきた社会がもたらすものに、当然の帰結としか感じない面が強くあったのでしょう。下は1980年自動車生産世界一を報じたもの。「世界一になった喜びと重圧」という言葉どおり、とうとうアメリカを抜いたという誇りとは違うニュアンス、自虐的な言葉が既にこの時代に染み出ています。

名古屋のトヨタ専用埠頭                  日本の労働者は闘うべきだと吼える全米自動車労組代表  FORCUS

 リーマンショックやヨーロッパ危機などの最近の経済情勢や、各種の本を読んでいて、どうやら時代の転換点は1980年前後にあったようだと思うようになりました。世界も日本もです。

 世界と言ってもアメリカが中心になりますが、第二次石油ショックというのが起きたのは1978年ですが、日本は省エネ技術によって工業品における圧倒的な強さを発揮していきます。この時、アメリカは外交によって日本の力を弱める方向にしか動かず、製造業のブラッシュアップを行うことはありませんでした。どうやらアメリカの全国民が平等に豊かになっていくのを諦め、金持ちにとって住みやすい国に変えていくという決断が行われたのだという説があります。
 これは多分、決断がされたのではなく(陰謀論過ぎる)、そういう方向に舵が切られてしまった感覚で、全人口の1%のみが所得を増やし、他はほとんど所得が上がらない、最下層は下がるという形になってしまった。
 この時代、アメリカは盛んにM&Aを行い、企業統合による独占を志向し、老舗企業に蓄積された資金を金融市場に搾り出すことが行われました。M&Aを契機とした強烈なコストダウン指向は、低開発国に生産拠点を移動させ、労賃の格差を利用した低価格によるマーケット支配を行い、巨額な収益を得るビジネス・モデルを既存産業においては構築し、最先端の情報産業やバイオテクノロジー、金融技術に、集中的に人材や投資を配分する戦略を組み替えていくのが、アメリカの80年代、90年代でした。それが大きな成功?を収めるのが、90年代も後半になってからです。

 日本の80年以降は、欧米から学び、追いかけるという明治以来、続いてきた脅迫的な気分から抜け出て、目標を喪います。スーパーや、外食、宅配、サラ金などの巨大なサービス業が発展していく中で中小零細な家業が崩壊し、自営業に未来を喪失します。子供の資質が「勉強ができる、できない」だけに、この時代に収束してしまいます。子供の塾通いが本格化するのも、この時代です。家族は生産・教育・保健機能を次第に喪っていく。受験戦争が深刻化していきます。
 私の子供の頃は、家業を継ぐと決まった子は勉強はしませんでしたし、親も特にどうこうは言わなかった。それが当たり前だった。子供にとっては、勉強ができることよりも、体力がある=走るのが速いとか、手先が器用、面白いとか、そんなことの方がクラスの中ではヒーローでした。
 また、地方から都会に卒業と同時に集団就職列車が高度成長期に走って膨大な労働力を集めていましたが、それが終焉するのも1975年です。高度成長時代から大きく変節していく時代なのです。
 世帯構造の変化も指摘されています。祖父母と夫婦、孫という三世代が同居する直系家族は急速に数を減らしています。それは地域社会と家族を結び付けていた絆も壊すことになりました。祖父母が孫の教育に関与することが著しく減り、夫婦の負担は上昇しているのにもかかわらず、この時代はパートですが主婦が働きに出るのが一般的になるのも、この時代です。
 真なる意味での夫婦と子供という核家族化が始まるのです。夫婦家族は、これまで以上に互いのプライバシーの尊重や、夫婦における家事の役割分担が問題になって行きます。その核家族化も、85年にはピークを打ち、以降、子供と同居しない高齢者の夫婦のみの世帯、単身者が増加の一途をたどっていきます。家族の役割が大きく変容していく時代です。寿命が延び、アルツハイマーなど老人痴呆、親の介護の問題が浮上してこようとしています。表層に出てくるには、まだ少しの時間があります。

 この変化の中で、、10代の終りから20代の若者たちはどうやって生きていくかが分からずにフリーターになって、ありもしない自分を探したり、原宿に行って歩行者天国で踊る竹の子族になったり、暴走行為に走るという形で過ごします。中学生は家庭内暴力も引き籠りも起きてきます。家族がそれまで考えもしなかった子供をいかに社会化するのか、パーソナリティの安定・確立をどう図るかの問題に直面するようになりますが、それが意識化されるには、まだ、長い時間が必要でした。やがてバブルが膨張していく凄まじい時代が始まると、また、大きく転換していくことになります。

 この時代、自信を喪った欧米は、アジア、南米、アフリカへの関心を高めます。グローバリズムに向かう土壌を作っていく。そしてフランス哲学を中心にしたヨーロッパは論理的な妄想に浸るようになります。その中で、当時、ビョウキと区分された「肉体の夢」という形「変態」が次に時代に向って作り上げられていくのです。それは、現代という時代が、かつてあった暗がりが消失し、ピカピカに輝く薄っぺらい世界の中で、新たな闇を作り出そうという力なのかもしれません。

 この時代を表現する為に、できるだけ多くの分野を取り上げようとしています。これは私が選択したものであって、客観性は欠片もありません。芸術関係で取り上げた分野は70年代に比べて多くも深くもありません。私自身の興味の範囲が小さくなっていたことが、大きく影響しています。また、政治経済的なものは次のバブル期に比べて小さいものです。というのも90年代に噴出してくる闇の多くが、この時代に降り積もり始めておりますが、それはバブルの時代の方でご紹介したので二重になることを避けるためです。総じていえば豊かさが実現する中で、政界のフィクサーとして君臨する田中角栄的な政治が、見事に機能していたのでしょう。経済は順調であり、その豊かさがリベラル的な要求を受け容れる形で社会が成熟度を増していったのです。

 他の書籍が80年代という捉え方をしていますが、あえて昭和50年代という時代区分にしました。昭和50年代は1975〜1984年ですが少々ずらしてあるのは、先の70年代やバブルの時代との関連で重なる時間を多くしたくなかった理由で、こういう時代区分がどれほどの意味があるかどうか・・・。80年代は前半と、バブルという凄まじい過剰景気の後半とは、社会の雰囲気が変容しています。その意味では80年代を半分に切る意味はあるのではないかと思います。

 この時代、ペヨトル工房は夜想を中心にして、銀星倶楽部、WAVE、ulという雑誌群と各種のメディア・ミックスを試みます。ひどい試行錯誤の連続で、ここに表現したものの一部はありますが、入っていないものの方がほとんどです。あれは何だったのかと思わないではありません。ペヨトル工房は結局のところ何も収斂することなく終焉したことも、私がこのHPを作ろうとする動機です。もう30年という時間を経過しています。

(表題の変更について)
 「狭間の時代:軽妙、妄想、変態」としていたものを、「幻の黄金時代」に表題を変更しました。これは西村幸祐氏の雑誌「表現者」での連載タイトルから転用したものです。なお、西村氏の連載タイトルは「幻の黄金時代-オンリー・イエスタディ'80」です。この論文はまだ、読んでおりませんが、バブルが膨張していく80年代の後半期を含めて書いておられるようです。このタイトルを使わせてもらおうと思ったのは、この時代の豊かさについて、私自身も、このHPを作ろうと思う前には、世界でも稀に見る豊かさが、この時代に訪れたということを意識していなかったことです。非常に多くの人々もそうであろうと思います。その意味で「幻」なのです。

 どうもこれも完成するのに随分、時間がかかりそうで、少しずつ増やしていく形であり、後で気づいたことを修正しながら作業を進めています。このページも既に数回、論理的な組み直しまでしています。完成は何時のことになるのか、作る本人も分かりません(2012.7)。