科学万博
 Wikiから、『1985年3月17日から同年9月16日までの184日間にかけて行われた国際博覧会。筑波研究学園都市のお披露目をかねており、「TSUKUBA」の名を国内外に知らしめた』。当時も、今も、関心が高かったことはない万博でした。それでも2千万人を集客したのですから、万博の威力は大変なものです。

万博会場の全景
夜景
 万博の売り物につくばエクスプレスというモノレール車両がありました。今のつくばエクスプレスとは違うのですが・・・。まぁ、万博ですから、いろいろシンボリックな建物もあり、マスコット・キャラクタもありましただけのことになってしまいますが・・・。

 
シンボルタワー                マスコットキャラクター

コスモ星丸
 パビリオンは大手メーカーが揃います。海外のものは印象が薄いのは、科学万博と銘打たれいて、日本の技術力を強くアピールするものであったからでしょう。コンピュータを駆使した最新のCGが提供されました。どこもかしこもマルチスクリーンで華麗な映像がでありましたが、何度も見るというものでもありませんでした。この写真は写楽1985.5月号からのものです。
 
NECパビリオン
電力館
  
 
 
日本IBM館

 パビリオンの中で「SONY ジャンボトロン」は注目されました。25m×40mのテレビを模したパビリオンで、ソニーでは、この万博パビリオンのために蛍光表示管「トリニライト」を開発。最大輝度が1500ft-Lと家庭用ブラウン管の30倍の明るさを達成し、屋外でも鮮明な画像を表示することができるようにしたもので、万博会場での目玉となりました。建設費は40億円。期間中は会場風景をはじめミュージシャン、タレントなどによるコンサートなどを映し、またMSXを接続した『ロードランナー』ゲーム大会も開催された。


                                  これは貼り付けた画像ではなく遠景からの写真で、これだけ目立ったのです。
(ペヨトル話)
 筑波万博はハード面では、我が国が誇る大手メーカーが、未来型のCGなどを提供しましたが、ソフト面では貧弱でした。ソニーは、坂本さんのライブを中心とした映像の提供を企画します。 万博の最終日に、TV Warという1回だけのイベントが、この大画面を使って行われました。
 イベント全体のコンセプトとシナリオ進行を浅田彰さんが担当します。坂本龍一さんのテクノ・サウンドとラジカルTVが提供する画像表現をライブで組合わせたものです。ビデオ・クリップみたいな趣きがありますが、予定されたものではなく、ライブのアドリブを活かす形で、用意された原爆のシーンやベトナム戦争などの映像をランダムに切替ながら進行させていきました。他にロボットなどのテーマも扱っていました。
  TVという映像を通じた戦争という意味では、やがて起きる湾岸戦争を連想させるもので、戦争という残虐性も、一種異様な美しさと、汗も血も臭いもない、ゲームの世界が繰り広げられる。ポスト・モダンの世界を見せる、先進性のある試みでした。映像を通じた戦争というテーマは、浅田彰さんや坂本龍一さんが意図していた反戦のテーマとは、まったく違う、逆の形で表出してきました。論理よりも感性の方が時代を先取りしていくのです。四半世紀ぶりにYouTubeの映像を見まして、こういうものだったかという感想を改めて持ちます。当時、会場にいると画面しか見えませんで、坂本さん達の動きは会場の背後の黒い影でしかありませんでした。

 今野君がイベントの中で、どうのような役割を果たしたのか、プロデューサーなのか、ディレクターやアシスタントなのか、あるいはポスターやチラシの提供者なのか、よく知らないというか、説明を受けたことがありません。どうでもいいような役割ではなかったことは確かですが・・・・。

坂本龍一                         確か、原田大三郎さんと思いますが・・自信が無い
これはrobotの映像です。


 会場は霧のような雨が降り、少し寒かった。このイベントを目当てにした観客は多くありませんでした。宣伝が行き届いていなかったことが大きかったと思います。このイベントのために金を支払う仕組みではありませんでしたし、あれだけの巨大な画面ですから、どこからでも見えたということもあったのかもしれません。このイベントについてマスコミ報道はほとんどというか、前にも後にも全然なかったように思います。参加者だけが満足した。万博会場でたまたま見た人達も、ただあっけにとられていたのではないかと思います。
 今野君らを残して、筑波の最終電車に社員やアルバイト、ボランティアと帰って来た時、皆、高揚感と疲労で固まり、ボソボソと話をしていただけで黙っていました。夜も遅くなっていて、上野に着く頃に、いっしょにご飯を食べようかと声をかけましたが、皆、早く家に帰りたかったようで、そのまま解散になりました。この夜の電車の風景は、不思議に覚えています。