豊かさの中で方向性を喪った若者達は、自分探しが流行のようになっていきます。就職しても一、二年で辞めてしまう。立派な大学を出た男達がその傾向を強く持ちます。フリーターが、何か自由な生き方のように吹聴されています。結婚年齢は年を追うごとに高くなり、独身者の比率も拡大していきます。方向性を喪った人生ですが、この時代は、なにしろ豊かですから、就職しようという気持ちになれば、いつでも社会復帰できる感じでしたが、本当の意味で自分を発見できた子は少なかったでしょう。当初の間は若者の精神的な自立を容認していた世間も、この状況を精神分析医の小此木氏はモラトリアムと呼び流行語にもなり、次第に否定的な雰囲気が濃くなっていきます。
 問題は、自分探しが行き詰っていった時に、社会から逃避しようという傾向が生まれ、やがて引き籠りという病理的な現象が生れてきたことです。女の子達は豊饒/芳醇で見てきたように、「かわゆい」革命に熱中し、少女というバリアーの中に生きていますが、少女を抜け出た後は、JJファッションを取り入れながらも、妄想に囚われることなく、開かれた性の現実に立ち向かっていくのですが、男の子達はある特異なグループを中心に、この時代をひたすら内部に閉じこもって妄想世界に飛び立っていくのです。

    

フリーター

 この時代の流行語でフリーターという言葉くらい180度、意味が変容してしまったものはないでしょう。かつて自分探しを求めて、本当の自分が表現できるものを探して若者達の多くが、このフリーターという好きな時に仕事をして、何の責任も負わず、縛られず、何時でも辞められる、アルバイトの地位を求めたのです。そしてこれを知識人たちの多くが称揚し、煽ったのです。

 当時のセリフです。
このままじゃいけない気がする
             
もっと自分て才能があると思う
             
今、とくにやりたいことがないから、フリーターしている

 土井隆義「非行少年の消滅」という本に、この時代の風潮として「個性」を表出することが強迫観念として若者達を捉え始めたとあります。しかもその個性とは蓄積し、成長する中で形作られるものではなく、自身の中に眠っている原石を磨き出せば、本当の自分自身がそこにあるという神話であったようです。しかし、元々、原石というものが存在するはずもなく、いくら自分自身を探っても、ないものを探るのですから出てくるはずもなく、漂流が始まったのです。
 しかもこの頃から、他人と意見を闘わせて、自分の夢なり考えを発展させたり、修正したりすることが抜け落ち始めていました。多くの人生の先輩達が旧来の意識のままであったことが大きいことでしたが、この頃から次第に、他人に言うことで全面的に否定される、馬鹿にされ、傷つくのを怖れる風潮が強まっていきました。次第に自分の中に引き籠り、妄想する形に変容して行ったのです。
 この社会の風潮としての個性化は、長い戦後教育の、欧米に毒された面が濃くなっていくのも、やはり豊かさがもたらしたものであったのでしょう。


別冊宝島「80年代の正体」 オバタカズユキ「やりたいことがないから自由な<フリーター>というパラドクス」

 有名大学を出て、一流企業の就職した、これまでの時代感覚で言えば、エリートであり、順調な人生が目の前に開けているのにもかかわらず、自分の中に何かがあるという幻想に囚われ、突然、ドロップアウトしてしまう。その理由は、先のように曖昧そのものでした。大きくは二つに分かれます。
  ○モラトリアム型 ・・・学校は、卒業したが、なんとなく働きたくない人。自由に時間を使い、将来のやりたいことを探す。
  ○夢追求型・・・・・・・バンド、俳優、作家などを目指して、仮の姿としてフリーターになった。

 豊かさがもたらした怠惰そのものでした。豊かな親の脛をかじっている者が、大部分です。非常に多くが夢追求型ではなくモラトリアム型であり、夢はほとんど言い訳でしかありませんでした。これは企業にとって、せっかく苦労して獲得した優秀と見られていた学生がいなくなる、穴が開くことでありましたが、低賃金の若年労働者が増えるという意味ではプラスでした。

 バブルが弾けた時、事態は一変します。フリーター達は大急ぎで就職先を探して動きます。バブルが弾けた頃は、まだ、それほど不況が進んでいなかったこともあり、高学歴者のほとんどは就職に成功したでしょう。その一方で、この風潮に乗っていた低学歴の若者や、その頃に30歳を過ぎていた連中は、千載一遇のチャンスを潰して、長いフリーター生活に落ち込んでいくことになります。

 時代は、
  ○やむを得ず型・・・正規雇用を希望しているが、就職難で仕方なくフリーターになった人。
に転換します。もはや、自由を楽しんでいる人とは評価はなくなります。不況の深刻化に伴いフリーターは就職ができない人になっていきます。世が「勝ち組」「負け組」に分類された時、リアルな現実としての「負け組」を背負う運命を引き受けさせられることになったのです。


結婚年齢の上昇
 下の図と表を見て下さい。初婚年齢が急激に上がってきているのが分かると思います。2009年、現在、は男が30.4歳、女が28.6歳です。85年当時よりも2年強、上昇しています。女性の性体験の比率は今とは随分、違っているように思われます。結婚年齢が上がるということは、青春時代が長くなることであり、恋人時代の長期化というふうには今は表現されていますが、当時はそう簡単に割り切れないもので、なかなか巧くいかないという感じを強く持っていたのではないかと思います。どちらにしろ結婚前の世代に膨大な需要が発生したことで、70年代、若者が主導権を握ったとされた時よりも、はるかに大きな社会的な意味を持っていたのではないかと思われます。



 この時代の豊かさをどう表現すべきなのかを悩みました。爛熟にはまだ達しません。豊かさが花開いてきて、欧米のコピーから次第に変化していく入り口に当たります。豊かさが芳香を帯びてくるということで、一応、豊饒/芳醇にしてあります。変えるかもしれません。いろいろ集めていて感じることは、女性が段々、社会の中で重みを増している、特にマーケット・リーダーとして、主張が強まっている。これがバブル時代になると、男の子達を顎で使う方に、そしてバブル崩壊後は元気が良いのは女性だけという状況に変容していくことです。
 商品が市場に過剰に溢れる状況の中で、経営技法としてマーケティングが、いよいよ必要性が明瞭になり、マーケッターに対する関心が高まっていきます。それがコピーライターやCMのディレクターなどに注目が集まる形にもなりました。この時期のマーケィングの関心はライフスタイル分析でした。細かな個々のライフスタイルに着目しなければ、差異が分析できない=マーケティング・セグメンテーションによる市場開拓ができないというものでした。このライフスタイル分析に効果があったかどうかになると、果たしてどうだったか。あまり成功した例はなかったように思いますが、それでも多様な変化がもたらされ、固有の価値観は揺らぎ拡散していきます。