精神世界

 ベトナム戦争の恐怖に煽られた形で始まったヒッピー運動は過酷なる現実からの逃避を生み、ドラッグに濃くコミットメントしていきますが、ドラッグが生み出す幻影は、次第に精神世界にリンクしていく形になりました。我が国ではドラッグは禁止ということもありますが、広がりを持ちませんでした。しかし、共産主義の夢が破れた70年代の半ば以降、シラケと呼ばれた状況の中で、ゆるやかに浮上してきたのが、ある種、引きこもり的な神秘主義でありました。本屋で精神世界コーナーができるのは、80年前後のことです。


 精神世界への関心は、非常に広範な世界各国、世界の様々な時代に信仰を集めたものを次々と掘り起こしていくことになります。例えば、当時、いわれていた超感覚的世界認識という言葉は、古代や中世社会で信じられていた世界観であり、本当に何でも、かんでもでした。ヒッピー運動との関係もあって集団的な精神世界への参加が始まります。それはしばしばカルトという形の宗教運動に結びついていきます。






 ただ、こういう集団的な活動は、しばしば内部での意見対立、派閥争いや、社会との摩擦から分解し、次第に集団から個人的なものへと変容していきますが、一つのポイントはシュタイナーによる神智学であったことは確かで、80年の少し前からシュタイナーのブームが起きてきます。ダンサーの笠井叡さんはシュタイナー学校に留学したりして、芸術分野における神智学は隆盛を迎えます。 シュタイナー以外にスウエーデンボルググルジエフが関心を集めていきます。


 シュタイナーの思想であるアントロポゾフィー(人智学)を紹介する為に著作・翻訳・講演活動を始めたのが、高橋巌さんで、85年に日本人智学協会を創立します。高橋さんの下には多くの芸術家が集まり、サークルを形成していきました。
 ヨーロッパの神秘的な体験を基盤としたもの以外に、アジアの古くからある精神的な傾向にも強い関心が生まれます。インドのタントラであり、道教であり、日本の武士道や修験道などなど、それこそ何でもありになります。精神世界の本を読むと、その取り上げる範囲のおびただしさ、脈絡のなさには、驚くべきものがあり、ブームの底の浅さをよく表わしています。




 また、その一方で、この精神世界ブームに乗る形で、疑似科学が精神世界に入り込んできます。この疑似科学をニュー・サイエンスと呼び、神秘主義と現代科学技術を結びつけた独特の論理を展開します。 アーサー・ケストラーは代表的な人物です。 1967年に出版した『機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)』で彼が提唱した「ホロン」はニューサイエンスムーブメントの発端となったとされています(Wiki)。

マインド・ゲリラ氏制作
 ニューサイエンスへの動きを捉えて知的好奇心、中でも科学技術的な側面を強調した雑誌「遊」(工作舎)が 松岡正剛さんによって作り出されます。 ここで表現されたものとは何であったのか、長い年月が経ってみると、茫洋として掴み所がありません。ここに表現されたものは本当の科学技術ではありません。 文科系的な拾い読みした科学であり、知的遊戯であって、疑似科学的なもののハンドリング手法が開発され、大いに流行ることになります。



 この遊の流れの中で、ライアル・ワトソンや、ベイトネンが紹介され、この手の本としては異様な売れ行きを示します。

ライアル・ワトソン Lyall Watson         グレゴリー・ベイトソン Gregory Bateson    フリッチョフ・カプラ Fritjof Capra
                             

 また、レオ・レオニの平行植物なんていう、架空幻想の植物が紹介されたりします。


この一連の流れを最も分かりやすく整理したのが大田俊寛「現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇」でしょう。


(ペヨトル工房関係)
 彼も、誰かから誘われたのでしょう、高橋巌さんの主宰する神智学の勉強会に参加していました。夜想創刊号の編集後記に、高橋さんの名前があるのは、こういう理由です。ただ、夜想が神秘主義や神智学の影響を受けたということは限りなく低い。私の影響力が夜想にどれだけあったかは分かりませんが、私自身は、理工学部出身でもあり、神秘学における論理の組立には、ついていけないというか、趣味ではないとしか言い様もないものです。彼自身にしても、白魔術といわれるシュタイナーよりも、黒魔術といわれるナチス、ヒトラーに興味が強くあった。

 この頃の感じでは、高橋さんの関係から、画家やダンサー、美術評論家などとの交流が作り出され、彼が関わっていくパフォーマンスには、今、考えると大きな意味があったようです。松岡正剛さんとは、遊が終了した後ですが、何かの機会に何度か彼は会っていました。噂というか、何度か話に出ていました。松岡さんにとっては充電期というか、次にどう踏み出していこうか迷っていた時期ではなかったかと思います。NHKなどや講演会などで、何回か見ましたが、編集者らしいというか、組み立てが巧いなとは思いましたが、それ以上に惹かれることは私自身はありませんでした。


 二人の画家を紹介しておきます。夜想の創刊号を出す前後、青木画廊との関わりが濃くある時期のことです。川口起美雄さんと奥山民江さんです。現在ではお二人共に安井賞を授与されるなど、日本の画壇のトップに位置されていますが、当時は若手で注目を浴びる画家ではありましたが、一般的にはまったくの無名です。ウィーン幻想派の絵画展で感激し、ヨーロッパに行ってウィーンのフッターの基で古典技法をマスターされた川口さんとは青木画廊との関係もあり、確か高橋巌さんの研究会でも今野君は一緒でした。奥山さんは、ご主人の関係だったか、或いは本人がふっと飛び出したのか、あの頃は南米の影響を受けた幻想的な絵を描いていました(左端)。女同士ということもあってか磯部さんとの仲が強かった感じがします。お二人共に柔らかなお人柄で、その繊細さは独特でした。我々とはレベルが違いました。ここに掲げられた絵は、当時描いていたものとは違います。10年くらい後の作品群だと思います。

(川口起美雄)

(奥山民江)

 


 「遊」の話題では必ず「遊」第3期の編集に関わる山崎春美さんの名前が出ますので、インディーズのところで取り上げなかったので、こちらで紹介します。残念ながらお会いしたことはありません。よく知らない。世間的には『80年代アングラロックシーンではかなりの重要人物とされており、バンド「ガセネタ」「タコ」「至福団」を指揮。サブカル雑誌『HEAVEN』の責任編集も務める。ライヴ中に自身を包丁で突きドクターストップ(ドクターは香山リカ)、その時の血まみれのTシャツを宝島で読者プレゼントした“自殺未遂ギグ”はあまりにも有名。』とあります。知らない人のことをああだこうだ言えませんので、この紹介だけにします。


写真はジャガタラ                     自販機本「NOISE 1999 Vol.1 Vol.2」 発行年不明(1980or1981年)


 「遊」の休刊後は知的な方は、エピステーメ、現代思想に引き継がれていきます。 一方、より大衆的なものはムーに、よりセンセーショナルで安易なものはTVのオカルトブーム、超能力ブーム、UFOなどに向かっていったのです。これは新宗教ブームにやがて結実し、オーム真理教に至る道を切り開くことになります。