シャーマニズム Shamanism シャーマン
 60年代のヒッピー運動の影響から、自然と共に生きることがアメリカではインテリ層を中心に大きなテーマになります。 自然と共に生きる生き方は、アメリカ・インディアンの暮らしへの関心を強めることになり、何冊かのインディアンからの知恵や文化を記した本が出版されるようになります。 この流行が日本に飛び火してきて、自然食ブームなどもあり、反文明的な雰囲気の中で、シャーマニズムに対する関心が高まり、各種のイベントが開催されるようになります。
 日本では、インディアンの儀礼なり、習慣は、我々には馴染みがないものですから、石器の発見が相次いだ縄文ブームも手伝って、ややアメリカの流行とはずれてくるものがありました。 アメリカ・インディアン以外のケルト民族とか、蝦夷、あるいはシベリアの少数民族への関心がありました。
 特に日本では、シャーマンのパワーに対する関心が濃くあり、身体の問題になっていきました。



 シャーマニズムは、人類学者の分野でしたが、我が国では柳田國男の始めた民俗学の分野として、戦前から資料収集や現地訪問が行われ、青森恐山のイタコや沖縄のユタノロ、アイヌのツス、 韓国の巫(クッ)など多様な資料収集が行われていました。 しかし、この時代のブームは、これらの蓄積を無視した極めて感覚的なもの、神秘主義的な要素の濃いものでありました。
 私自身は、こういう流行とは別に、神信心としての興味として、以前から関心を持っていましたので、流行の方向は、何を目指しているのかという点では疑問が多くありましたし、アメリカ・インディアンに偏った情報にも疑問を感じてはいました。 このシャーマニズムへの関心は、イベント性が強くあって、シャーマニスティックな雰囲気や、何かしらの神秘的なパワーを感じたい、これらに身体を馴染ませたいという欲求でありました。 新宗教運動と同じ根を持つものであったのでしょう。
 下の写真のように、この頃はこの手の集まり、イベントでインディアンの人などシャーマンを呼び、祈りや歌、踊りを披露することが多く行われました。 ヒーイリングへの期待、興味が非常に大きかった。各種の民芸品やグッズも売られ、料理も提供されるなど、エスニック・ブームの流れでもありました。
日本に来てインディアンの祈りを披露する
「気の森」1994年5月号から

 このような先住民への関心は先進国共通であったことです。国連では国際線住民年が制定されました。1993年8月には北海道平取町二風谷で「二風谷フォーラム」が開かれ、世界13カ国、27の先住民36人が招かれ、4日間の渡って討論会と各民族の祭礼や伝統芸能、コンサートが開催れました。フォーラムには内外から延べ4千人が参加し、国内最大規模の祭典となりました。しかし、沙流川で行われた儀式の場所はその後に建設されたダムによって、訴訟は起こされますが水没することになりました。


二風谷文化資料館

 この後のページは私の関心が濃かったものが中心で、時代の流行とは別のものです。時代はこういうある種のおどろどしさとは無縁でありました。 画像はミハイル・ホッパール「図説シャーマニズムの世界」から。

ヌガナサン人のデムニメ・ヌガムトゥソ                        セリクープ人のコチャデル
  
  北米インディアン                                  タタール
カムチャッカ
満州
朝鮮