ニューアカ New Acadenism

 雑誌「遊」と同じ頃、中野幹隆による雑誌「現代思想」(1973〜)、「エピステーメー」(75〜79)が出版され、ニューアカに向う道筋が作りこまれていきます。


 ニューアカの先駆けとなったのは、26歳で京大の助手になったばかりの 浅田彰さんです。 『構造と力』は、分かりやすく、明晰な持論を展開し現代思想のチャート式入門書を作り上げます。 その若さと、「スキゾ」「パラノ」という分かりやすい二項対立は流行語になります。 この手の本としては15万部という驚異的なセールスを記録します。浅田さんの功績は当時のフランス哲学の動向、主張なりを簡明に紹介したことにあります。 中沢さんと香山リカ さんの対談によれば(ポケットは80年代がいっぱい)、72年のあさま山荘事件(連合赤軍事件)以後の空白期を埋めようという意思が働いていたようです。 ニューアカのブームは精神世界ブームとリンクしていると思われます。 精神世界が唱える言説に、知的に満足できなかった若い人達、特に自分探しをしていた若者を引寄せたのだと思います。

浅田彰

 中沢新一さんは、東大大学院入学後、ネパールに渡りチベット仏教のニンマ(古)派の修行を経験。帰国後、ネパールでの経験を元に1983年『チベットのモーツァルト』を発表、その斬新なタイトルと切り口で評判になり、同じ年の『構造と力』と並んで注目され、名付け親は朝日新聞だそうですが、ニュー・アカデミズムブームが作り出されます。先の対談によれば、当時、強く意識していたのはガタリの脱領土化=ジャンルを解体し、バーチャルな空間に拡散しながら再編成するというものです。ニューアカを契機にして「新人類」という用語が定着したといいます。オタクが出現するのは、数年後ですから新人類の寿命は随分、短かった感じですが、新人類という言葉自体は70年代末には出てきていますから、定着=崩壊だったのでしょう。
中沢新一

(ペヨトル工房関連)
 浅田彰さん、中沢新一さんは、出版界の寵児になっていました。 マスコミから、ニュー・アカデニズム、略してニューアカと命名され、朝日ジャーナルなどから、新時代の旗手として大きなムーブメントを形成していました。 お堅い系の出版社の何処も彼らの本を出版したいと切望していました。
 彼も、この流れに乗っていきます。競争の中をかいくぐって接近していくのは、彼の最も、得意とするところであり、抜群の力を発揮します。

 浅田さんとは、無名時代に大阪で行われた個展に彼が行き、そこで浅田さんが記号論で絵を論じたものですから、彼と激しい論争をしたと言います。 彼が関西から帰ってきて、クソ生意気な奴と会ったという話をしたのを覚えています。浅田さんが有名になり、まずいなぁと言いながらも詫びを入れ、夜想などに何本かの小さな書き物や坂本さんなどとのインタビューをしてもらっています。
 中沢さんとの最初の契機は、分かりませんが、無名時代からではありません。誰かに紹介してもらったのでしょう。 ほとんど毎晩、深夜から朝方まで、いっしょにご飯を食べに行ったり、遊んだりして、付き合える形を作っていきます。彼女も、毎日ではないが、駆り出されました。 中沢さんとの関わり合いの方が浅田さんより深かったように思います。浅田さんは京都でしたから、住んでいる場所の問題かとも思います。

 旧YMOの坂本さんや細野さんもまじえた形で、ニューアカにグループが生まれていて、そのメンバーにデザイナーの奥村靫正さんがいました。 彼女は奥村さんに随分、教えてもらったようでした。奥村さんとの関係で立花ハジメさんとも知り合いになっていきます。

 彼にとって、本の見出しに、是非とも中沢さんの名前を入れて売りたかった。 中沢さんは、当時は、大変な売れっ子で、見出しがあるだけで売れると思われていたからです。 原稿を取るために、必死でしたが、もらった後にどう夜想やWAVEなどに組み込むのか、どうやら、考えてなかったようです。

 中沢新一さんは「チベットのモーツアルト」で一世を風靡し、マスコミの寵児であったわけですが、私からみると、彼がチベットに行った頃、チベット仏の蒐集を始めていて、本が出版された時は、ある種、今更という気がしないでもなかった。 流麗な文章ですが、中身に深みがない。85年の頃は、世界の様々な宗教哲学を収集していた時期です。修験道あり、マニ教あり、などなどです。そんな話を彼から聞きましたが、結局、まともな論文に実った感じがしません。
 夜中に、会社に来たこともあったようですし、いろいろな場所で、中沢さんを見かけましたが、私は別に話そうという気はありませんでした。 宗教に関しては、私も素人ながら、今でも、いろいろ読みますが、中沢さんの本は全然、中身がなくて使い物にならないというか、どうしようもない。 論理的な詰め込みをせずに詩的な文章で逃げてしまう。論理の飛躍ばかりで、親戚の網野さんとは比べものにならない。


 浅田さんなどが紹介したのはフランス哲学で、ドゥルーズガタリデリダが中心になります。この時代の前のフーコーも、構造主義から少しづつポスト構造主義に変容していきましたから、注目は続いています。ウィットゲンシュタインも遅れてというか、この分野に関心がある人を惹き付けていきます。今でも同じですが、アメリカの哲学に我が国で関心を寄せることは哲学系ではなく、アメリカの保守主義の台頭なんかは、数十年経ってから紹介される状況です。

ドゥルーズ              ガタリ                    デリダ                    フーコー
 その他思想的な感じに強いものではイギリスの筋萎縮症に罹った物理学者のスティーブン・ホーキング博士の分かりやすい核物理学を通じた宇宙論が注目されました。

スティブン・ホーキンス


 ニューアカは、栗本慎一郎、蓮見重彦、柄谷行人、岸田秀、丸山圭三郎、今村仁司などが挙げられますが、長い時間を経た今日でみると、結局はこの二人なのではないかと思います。Wikiから引用します。一部を端折りました。

 『1970年代末から1980年代初頭にかけての人文・社会科学においては、1つの潮流があった。それは、平明な言葉で言い表すなら「学際的」とでも言うような「特定の学問の領域を超えた思考、研究」ということになる。 この潮流は、構造主義及びその批判的継承と言える記号論を原点としている。ニューアカにおいては、構造主義(レヴィ=ストロース、ラカン、アルチュセール等)と記号論(ソシュール、バルト等)が参照され言及される。
 しかし、それよりも重要視されたのが構造主義や記号論をより根元的に批評、批判したフーコー、ドゥルーズ、デリダの「御三家」を筆頭とする、クリステヴァ、リオタール、ボードリヤール等の哲学者を中心とした面々だった。 彼等はその後ポスト・モダニズムと総称されるようになるが、単純に言えばニュー・アカデミズムの思想的背景はこのポスト・モダニズムにある。』


 2人は知的エリートとして各種の雑誌への寄稿、単行本の発行などを行います。 この『GS[たのしい知識] la gaya scienza』といふ季刊誌は中沢さんこそ加わっておりませんが、彼らの活動の代表的なものです。 84年創刊、時あたかもニューアカ・ブームの最中(さなか)。編輯人は「浅田彰+伊藤俊治+四方田犬彦」。

 その創刊の辞:
 『・・・知識は長いあいだ重力の魔にとらわれてきました。ものを知れば知るほど、人は悲しみの淵に沈みこむ。学問を重ねるほどに、陽もささぬ、狭い洞窟のうちに幽閉されてしまう。古来より哲学者たちが唱えてきた「絶学無憂」の一語こそは、こうした知識の不幸をめぐるパラドクサルな意識のあらわれであったといえるでしょう。
 いま、わたしたちの周囲にあって、知識はかつてない頽廃に陥っています。僧房を思わせる研究室の薄暗がりのなかで醸成され、隠蔽される知識。ひとえに現実的効用という目的のみに奉仕する知識。あるいはてぎわよく無害に調理され、カタログふうに羅列される啓蒙的知識。およそ、知識と名のつくほとんどすべてのものが、こうした制度的格子に応じて秩序づけられ、鈍重な足どりで生産・分配・消費の回路をめぐっているというのが現状です。わたしたち「たのしい知識」は、正面切ってこの構図を破壊しようとは望みません。そうではなく、そこに今ひとつの新しい回路、目的も自己信仰もない回路を設けようと意図しています。いや、それは回路というよりも、回路の紛い物、始点も終点もない知識の移動・横断・滑走といったほうが正確かもしれません。・・・・』




 この軽みこそが、ニューアカの特質でありますが、ものごとを正面から捉えずに、わざとずらして行くことは、結局は何ものも生み出すことはなかったと言ってよいのではないかと思います。既存のジャンルの破壊といいますが、彼らは破壊できたでしょうか。 本人達は破壊し過ぎたと言っていますが、何かが変わった感じがしません。むしろ彼ら自身が壊れたのです。発想や切り口の面白さだけでは学問にはなることはありえず、浅田さんにしろ、中沢さんにしろ、後世に残る論文がない、と私のような者が言い切るのは僭越ではありますが、あれほど若くして高名を得て、周囲の期待もまた(嫉妬もあって足を引っ張る輩も多かったでしょうが)、大きかったのにも関わらず残念なことです。
 ニューアカ・ブームは85,6年頃には翳りが見え始めたと中沢さんは先の対談の中で述べています。 今、あの名声というか、人気は何だったのだろうと思います。これは浅田彰さんも同じです。有名になっても、なお、懸命に努力する人は稀でしかない。 この状況だからオタクが登ってきた時(オタクと新人類は同じ世代の裏表だという話もありますが)、これらの世代から遠い私なんかから見ても、異質そのもので、オタクの出現によって簡単に、ニューアカは退出させられていくのです。

 ソ連の崩壊からポスト・モダンの論客やニューアカの左翼転向が起きるのは何故なのか。もはや通用しないと世界的に決した共産主義に、何の夢を抱くのか。 空想的共産主義は面白いとか、大地の母と、ホモセクシュアルな男性秘密結社との対立とかいう概念は面白いけれど、それでどうなのか、何を説明できるのか。 ヘーゲルやマルクスを踏まえないと論理構築ができないという感覚は、私には分かりません。