テクノ Technopop/Techno Pop

 クラフトワークが先導したテクノは、この時代にDEVOを生み、新たな発展段階を迎えています。

DEVO


Gary Numan


Talking Haeds  psyco killer
 ちょっとテクノとは言い難いんですが。他に入れようがないので。


ローリー・アンダースン Laurie Anderson
 パフォーマンス・アーティストとして名高いですが、私のイメージからするとパフォーマンスというよりも、テクノ、音楽性の方が強く出ている感じです。パフォーマンスの中でも分かりやすいもので、一般受けするものですが、ちょっと違うのではないかと。テクノとしても、本当にどうなのかは感じているのですが。70年代の旦那のルーリードといっしょの方が良いかも。とりあえずここに置いておきますが移動するかもしれません。
Laurie Anderson and her Musical Head



EP-4 佐藤薫
 ペヨトル工房が当時、現代芸術関連で発行した雑誌EOSの2号「音像100%」の取材で、EP-4の佐藤薫さんとの関わりができてきます。もう名前も顔も思い出せませんが、インディーズ音楽関係のプロデューサーだか、マネジメントをやっていた若い男の子が仲介をします。その彼がインディーズ関係との取持ちをしてくれて、バンドとの関係が強まっていきます。
 1970年半ば、京都に坂本龍一を含めた、いくつかのファンク・バンドが音楽シーンを先導しています。メジャーに向かった坂本龍一に対して、音楽性をとことん追求、インディーズの生き方を選んだ佐藤薫と運命を分けるライバル関係にあったと聞いています。 EP-4は80年に結成され、その筋では圧倒的な人気を誇り、四半世紀を過ぎた今でも、カルト的な人気があります。

 編集長の彼と佐藤薫さんとは、意気投合し、佐藤さんが東京に出てくると必ず事務所なり、近くの喫茶店で長い時間話し合っていました。その中で佐藤薫さんの最高傑作といわれる「制服・肉体・複製」という音楽テープを内蔵したカセット・ブックが作られます。83年のことです。その発売にあわせてクオンタム・ダンシングなどと銘打たれたイベントが池袋、渋谷、京都で開催されます。日付とEP-4のみが書かれたステッカーを電信柱などに皆で手分けして貼ったものですから、事務所に警察が来た話が興亡史にも書かれています。
 リンガフランカ1「昭和崩御」と題されたレコードも作ります。昭和崩御という名は過激で心配もしたのですが、マイナー出版で書店流通しか持たない我々ですから、特に何も起きませんでした。発禁になったという話がファン・サイトに書かれていますが、メジャー・レコード会社のことでしょう。

 カセット・ブックの制作は金がないもので、発泡スチロールの型抜き以降は、全部、手作業で、場所がないもので彼らのマンションで作業をしました。私も手伝って100個くらい作ったことを覚えています。数千のオーダーで作るのですからボランティアを動員して作り上げます。 カセット・ブックは、それまでもないわけではなかったのですが、音楽テープを書店流通で売るという新しいスタイルを作り出しました。「制服・肉体・複製」は、爆発的ということはありませんでしたが、売れましたし、イベントと組合わせる形の販売なり、宣伝活動を作り出します。

 恋人のような関係だった彼と佐藤薫さんとの間は、ある日、突然、彼が佐藤さんのことを非難し始める。面と向かってではなくデザイナーの彼女や私に不満、非難をぶつけてくる。佐藤さんに会うのを避けるようになる。佐藤さんの方は狐に摘ままれたような気分だったでしょう。何がどうなっているのか、何が問題なのか。この幕切れの真相は分かりません。彼が何か利用されそうになっているという恐怖感のような感じでした。 このトラブルは、結局はデザイナーの彼女が始末をしますが、佐藤さんには深い傷を残したように感じます。数年先にドラッグで警察に捕まり、噂を聞くことはなくなりました。

 佐藤薫さんの音楽については「汗をかかないファンク」「クールなファンク」、と言われていました。他のファンクに比べて佐藤さんのヴォーカルスタイルは、肉声を用いず、数限りないエフェクターを駆使し、圧縮加工したものであったことで、それはペヨトル工房が関わったすべてに共通していました。


Five To One


昭和崩御                                 音の宇宙模型



YMO(Yellow Magic Orchestra) 78年結成 83年解散
 言わずとしれた細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一。日本のテクノの代表ですが、世界的に有名になった頃に日本でも有名になって、あっという間に解散してしまいましたが、その後の細野さんや坂本さんのソロ活動が続いていきます。佐藤薫さんより、何故、後なのかと言うと次の戦場のメリークリマスの方が後だからです。今、改めて聴くと佐藤さんの方が音楽的には先に行っていたのですなぁ・・。

(ペヨトル工房関連)
 当時、取次(問屋)の間に入って流通のめんどうをみてくれたのが思索社でした。思索社は歴史のある会社で、青少年向けの科学の書籍を作っていました。会長職にあった片山さんは出版業界に隠然たる力を持った人と聞いています。社長は息子さんが継いでいました。 本が出来ますと、取次の東販、鈴木にも伺いますが、まず最初に思索社を訪ね、よろしくお願いしますと、挨拶するのが常でした。

 思索社が版権を持っていたバンデル・ポスト著「影の獄にて」の映画製作の話が持ち上がります。それが「戦場のメリークリスマス」という大島渚監督、坂本龍一、デビット・ボーイ、ビート・たけし主演の映画になるのです。
 社長の片山さんは、版権の提供だけでなく、真面目で堅実、地味な思索社から、何か新しいこと、脱皮したかったのでしょう。そのことが夜想を引き受けたことでもあったし、映画化の話の中で、カセット・ブックのことが頭に閃いたのでしょう。編集長の彼が呼ばれます。
 当時、YMOは解散し、坂本さんはソロ活動を開始した時で、ソロでのレコード売上は2,3千枚程度だったと聞いています。人気は既に相当なレベルでしたので、マネージャーは胡乱な人間が坂本さんの回りに立ち入ることを強くガードしていました。そのマネージャーをかいくぐって坂本さんに彼は接近していきます。そして戦メリのテーマ曲になるアベックピアノの作曲、レコーディングに立ち会ったと言っていました。アベックピアノの誕生に立ち会ったことになります。坂本さんは佐藤薫さんへの対抗心もあったと聞いています。

 アベックピアノのカセット・ブックは思索社から出版され、数万部のヒットになります。坂本さんにとっても、非常に大きな意味のあるヒットになります。ソロとしての本格的なデビューになったこと以上に、次にはベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」の出演と映画音楽を手がけ、世界のサカモトに雄飛していく契機になっていったことです。また、ビート・たけしにとっても、戦メリは、やがて映画監督としての道を切り開く端緒になるのです。

 彼にとっては、初めてのメジャーとの出会いであり、坂本さんとの繋がりは、やがてニューアカとの出会いを作り出し、大きなステップを踏み出していくことにもなります。


坂本龍一:戦場のメリークリスマス

こちらは原書の翻訳本カセットブック

 売れるという意味を除けば、坂本さんというのは、こちらの方が本質なのかもしれませんが・・・・。でも本当にテクノなのか、よく分からない。
Energy Flow


細野晴臣
(ペヨトル工房関連)
 細野さんとのことは、あまり記憶がありません。坂本さんからというより、EP−4を紹介した若い彼の紹介だと思います。非常に気楽に実験的なことに加わってくれましたので、イベントにも出てもらっています。
 佐藤薫さん、坂本龍一さんと異なることは、彼との接点が薄く、コラボレーションという形が作られなかったことです。細野さんが進めていこうと考えていた音楽、民族音楽に、この頃から、のめりこんでいきますが、コードが合わなかったのでしょう。付かず離れずの関係が長く続きました。

 当時、理解したことは、彼は、アーティストにとって、ある種の触媒として作用する、本人には何の力もないが、インスピレーションを掻きたて、興奮させる力があるということでした。彼は佐藤薫さん、坂本さんの音楽が好きだったことはない、ファンではないのです。どこにも思い込みはないのです。
 この2人は典型的な例なのです。佐藤さんはマイナーで、カルト的だが、人気が急上昇しつつあり、もう一歩でメジャーに躍り出る寸前。一方、坂本さんはメジャーにはあるけれど、いま一つ壁に突き当たっている。このタイプが、彼とのコラボレーションが上手く機能する時なのです。
 彼は新人を見分け、育成する力はないし、本質的に何か好きなものを追求しているわけではない。坂本さんのマネージャーのように、無名の頃から坂本さんが好きで、坂本さんのために身体を張って守るし、無償で働きもする、坂本さんに一生を賭けている、そんなところは彼には欠片もないのです。

 もう一つの条件は、相手の善意、思い込みを利用できる場合です。前衛的な実験的な試みだから、金のことは、横に置いて議論させるところに妙味があるのです。自分から意欲を持って参加し、取組んだことだから、裏切られ、善意を踏みにじられた時に、初めて気がつくのです。坂本さんを裏切ることはありませんでしたが。
彼から離れていた細野さんは、人を見る眼があり、頭が良かったというべきでしょうか。



コシミハル
SugerMe

矢野顕子
 矢野顕子をどこに置くのかは、私のような人間には判断し難いものです。とてもテクノではないですが、New Waveなのかなとも思いながらも坂本さんの奥さんということで、とりあえずここで。坂本さんから話題が出るくらいで、まったくと言ってよいほど接点はありません。


MELON


近藤等則
 当時、凄い人気がありました。一目も二目も置かれていました。テクニックはともかく凄い人です。久しぶりに探していたら、今は環境音楽ぽくなっているんですか。よく分かりませんが・・・。下は84.3に行われたライブ。近藤(TP)、ベター・ブロッツマン(独、Sax)、高橋悠治(P)、ビル・ラズウエル(米、Base)、ヘンリー・カイザー(米、Eg)、ロドニー・ドラマー(米、Bass)、セシル・モンロー(米、Dr)。これに坂本龍一(Key)が加わったものです。
宝島84.7



ノイズ・ミュージック
 プログレッシブ・ロックからの流れでは、ノイズの方がストレートです。ペヨトル工房がらみでは、佐藤薫さんや坂本龍一さんなどのとの関係もあって、パンクよりもノイズの方に関心がありました。ノイズの特集を銀星倶楽部という雑誌の3号(87年)で行っています。当時、一冊まるごとノイズを取りあげた雑誌はなく、その意味ではユニークでした。内容は全部、欧米のアーティストの紹介です。私自身はノイバウテンが来日したので聴きに行ったことを覚えています。YouTubeには、ノイズ時代のものはないですな。こんなもんじゃなかったのに!!


非常階段
 79年結成。ノイズのライブ演奏と過激なステージパフォーマンスで若者達には名を轟かせていました。特に81年の新宿のライブでは女性メンバーがステージで放尿するなど、こちらもまた、激しく知られるようになります。残念ながら私は見に行っておりません。評判だけです。


地引雄一「東京ロッカーズと80'Sインディーズシーン」K&Bより


秋田昌美Merzbow)&灰野敬二
 ノイズというと、やはりこの2人を外すと怒られそうなので。秋田さんとの関係は私がペヨトル工房を去ってからですから、分かりませんが、彼に比べて、はるかに強い核となるものを持っていて、それを実現していく力は相当な感じがします。