焦燥 と 熱狂


 この時代、多くの若者達は、これからどのように生きたら良いのか、方向を喪います。「自分探し」が流行します。その一つの現われが「妄想」に浸ることでしたが、妄想に浸れるのは高学歴の子供たちでした。そうでない子供たちは、この時代をどう過ごしたのか。彼らは、激しく苛立っていました。「イラツクんだよ、お前は」。この言葉を、この時代から、よく聞くようになりました。

 苛立ち、切れるが、この時代から濃く影を落とし始めます。大人達はそれに応える何かを持ってはいませんでした。印象的な事件、小説、映画があります。事件は神奈川金属バット両親殺害事件(Wikiから、20歳の予備校生が、両親を金属バットで殴り殺した事件。受験戦争やエリート指向が巻き起こした悲劇とされ、話題を呼び、ノンフィクションやテレビドラマの題材となった。1980年)、小説は城山三郎の「素直な戦士たち」(78年)、映画は「家族ゲーム」(83年、森田芳光監督、松田優作主演)。いずれも受験戦争をテーマにしたもので、大学に入ることだけが家族の目的となった悲喜劇です。事件や作品は受験という象徴的なイベントを取り上げていますが、受験戦争の勝利者に保証されるはずの「良い生活」が形骸化し、何も意味を持たなくなっていることをも暗示しているのですが、受験戦争の敗者たちに解答を与えるものではありませんでした。
犯行のあった2階
金属バット

 若者ではありませんが、新宿西口バス放火事件(80年8月、6人死亡、14人重軽傷)もまた、38歳の男のある種、行き場のない怒りに駆られての犯罪であったことは、豊かさから零れ落ちていった人間の何かを示しています。
新宿西口バス放火事件

また、79年には三菱銀行北畠支店では立て籠もり事件が起き、女子行員を裸にする猟奇性に富んだ事件、毒入りチョコレートと警察をおちょくるような大企業を相手取った脅迫、グリコ・森永事件(84、85年)が起きる等、バブルに向う前夜は不穏な動きの中にあります。

立て籠もり事件の犯人梅川昭美                            同事件をモデルにした小説と映画「Tatooあり」俳優は宇崎竜童
脅迫状と毒入りチョコをスーパー店頭で捜索
86年には山谷で暴動が起きています。
86年山谷暴動
                                       
教師が生徒を刺す事件の発生した破壊されたトイレ

壊された学校の出入り口生徒が持っていた凶器

 若者達は、荒れ狂う自分自身を巧く制御することができなかった。最も豊かな時代でありながら、ある種の不穏さが社会に漂いますが、ほとんどの若者達は、当時、さまざまに生まれてきた熱狂の中に自分自身を投入していくことで、この時代を過ごしていったようです。
岡崎京子「恋愛依存症」
 この時代を考える時、2人の女性、岡崎京子と香山リカを取り上げます。この方達について面識はありませんし、書いたもの、それも80年代についてのものしか知りません。ご本人たちが何故、代表なのかといえば、この時代に青春であって、時代の真っ只中にあり、当時の思い出を語っているからです。


香山リカさんの80年代)「ポケットは80年代がいっぱい」
 香山リカさんはネット上の評判は、まぁ、散々なのも仕方がないくらい論理的に変ですが、それはともかく「ポケットは80年代がいっぱい」の後書きの文章です。

 『工作舎用語やニューアカ用語を駆使して禅問答のようなやりとりを際限なく繰り返す人と、「私って、戸川純聴いてギャルソンの服を着てピテカントロプスに通っててー」と限りなく固有名詞や商品名を連ねることでしか自分を語ることができない人は、二つの点において本質的に同じだと考えられる。どちらも、それほど深い意味はないという点と、こういったもの言いの本当の目的は「このお作法に従えない人はあっちに行って」という排他ゲームにある、という点においてだ。』

 彼女が80年代を語る他の人達への攻撃、あるいは80年代を普通に生きた人達への攻撃も、排他ゲームそのものです。ここには苛立ち、跳ね上がろうとする若い時代の自分を意識していない言葉が連ねられますが、それが逆説的に、方向を喪い漂流する姿を現しているようです。果たして彼女は何かを発見できたのか。
 中沢新一さんとの対談には、同時代を生き、有名人になった同士の馴れ合い的な雰囲気が濃くあります。他人サマが面白いというほどの中身はありません。それは岡崎京子さんと浅田彰さんとの対話も同じです。自分達が嫌らしいものになっているという自覚がないのでしょう。ここらが80年代に有名になった人達の特性、内容のない「排他の論理」です。


岡崎京子さんの80年代)
 東京ガールズブラボーに80年代の少年少女が活き活きと描写されています。北海道からやってきた跳ね上がりの娘の東京での憧れの生活です。そんp跳ね上がり方は実に時代そのものの感じがします。ライブハウスに割烹着姿で行くなんてのも、この時代の跳ね上がりで、この頃、渋谷で僧侶姿で乗り込む若者を見たことがあります。




 東京での行きたい場所を連ねます。ラフォーレ、原宿プラザ、ミルク、竹下通り、キーウエスト・クラブ、サンドイッチのパンプー、キディランド、カフェ・ド・ロペ、古着屋のフェイク、アカフジ、ピテカン、モンクベリーズ、・・・・ナイロン100%、シルク・バー、ミント・バー・・・。当時の流行スポットが並びます。カタログ文化が溢れてくるのが、実に、この時代です。跳ね上がるのは、ただ、格好が良い、皆が驚く、騒ぐ、ワッとした雰囲気が渦を巻いてくる。それが快感に繋がっていく感覚が非常によく分かり、それが時代の気分を表わしています。そしてちょっと反省して落ち込む、それをまた、跳ね返していく。その連なりは岡崎さん自身、主人公をあまりにも好きでないと語りながら、よく描き込んでいると思います。

 浅田彰さんとの対談で、ピテカンでボイス、パイク、細野、坂本、立花というメンバーでパフォーマンスが行われたことを本人たちも、ネット上でも凄いことのように言っていますが、香山さんではないですが、残念ながら深い意味はないと思います。未来に繋がっていく何かがそこで表現されたとは残念ながらなかったと思います。見てない人間が何を言うのかと思うでしょうが、これらに比較的近くにいたから、そう思うのです。パフォーマンスは誰がやったからではありません。当たり前のことですが、何が行われ、そこで何に感動したかです。