サーフィン surfing

 サーフィンが我が国で何時、始まったのかは明確な何かはないようです。私が子供時代から青年時代に達する昭和20年代、30年代はサーフボードを見たことはない。ですから昭和40年代、つまり1970年代に入る頃辺りから、多分、学生運動が終わった頃ではないかと思います。その頃は、非常に珍しい。伊豆方面に出かける列車の中で、ボードを見てもあれは何だろうという感じでした。それが次第に暴走族のような風体の連中の数が増えて、少し危ない雰囲気の中で、70年代も末になる頃に大ブレイクしていったように思います。ブレイクの契機は映画ビッグ・ウエイブだそうです。真偽は分かりません。
 この映画は、ハワイのノースショアを中心に、マウイ、アメリカ西海岸など、サマースポーツのメッカにカメラを持ち込み、巨大な波に挑むサーファーや、ウィンドサーファー、ヨットマン達の姿を捉えたドキュメンタリーで、中心は、サーフィンとウィンドサーフィンでした。

映画 Big Wave


 サーフィン発祥の地ともいうべきハワイ辺りでも、大きな広がりを持つのはコンテストが行われるようになってからとあり、最初のコンテストが1954年ハワイで行われたもので、優勝しても賞金は出ず、65年の大会で初めて賞金が出され、70年代の半ばから、プロ化を目指す動きが出て大きく発展するようになったと書いてありましたから、技術面はともかくとして、大きな発展という意味では、日本も、世界も、ほぼ同時的に起きてきたのでしょう。
 まぁ、私なんかからすると、日本の海はハワイなどと違ってサーフィンに向く大きな波もないのに、どうするのだろうと思っていましたので、あまり興味の対象ではありませんでした。サーフィンに馴染みのない人は、皆、私のような感覚だろうと思います。
 80年代の若者達にとってはサーフィンは大きな目標となるスポーツであったのでしょう。競技人口は爆発的に増加していきます。サーフィンが生み出す文化的な側面も濃くあり、サーファー・ファッションは、ディスコでふれた陸(おか)サーファーを生み、やがてスケボーや、スノーボードを生み、それらを使った各種の競技を流行させていく契機にもなっているのだろうと思います。空間を猛烈なスピードで滑っていく、身体を空中に浮揚させる感覚は、これまでの人間の身体感覚を大きく変えるものではないのかと思います。プロのサーファーになるという夢、サーフィンではないですが、スキーボードではオリンピックに出る、メダリストになる夢を膨らましていくことができ、大きく発展していくことになります。写真は「Blue。No.21」から、切り取っていますので全体画像ではありません。
ミジェット・ファレリーMidget Farrelly(オーストラリア)

ジェリー・ロペスGerry Lopez(アメリカ)


エノシ(日本)

サーファーの方達にとっては、素晴らしい技術も豊かな海も出ないサーフィン映画である北野監督の「あの夏、いちばん静かな海」は認め難いでしょうが、時代の雰囲気が濃くあって私は好きな映画です。

北野タケシ監督「あの夏、いちばん静かな海」

写楽1982.10
 サーフィンは単なスポーツの一分野の流行ではありませんでした。湘南に多くの若者を惹きつけ、湘南サウンド、湘南ファッションを生み出し、それが渋谷や六本木に大流行していくことになります。
サザンオールスターズ「パシフィック・ホテル」
 この歌の舞台となったパッシフィックホテル茅ヶ崎です。加山雄三がオーナーだった時代もあるようです。

パシフィックホテル茅ヶ崎       写真はきらめく湘南のブログから

 サーフィンができもしないけれどサーファー気取りの陸サーファーが六本木辺りを車上にサーフボードを載せて走るのが良く見られた時代です。また、サーフアーディスコなども現れます。サーファーをあこがれる女性達は皆、レブロン04番の赤いマニキュアを塗ってディスコに登場していたのです。
サーファディスコ レオパードキャット
 福岡にあったサーファー・ガールチェーンの子供服売り場。宝島84.7

 サーフィンの練習用だったスケボーが80年代に大発展を遂げていきます。 路上、主に地下街の広場で若者が技を競う姿が、よく見られました。

スケボーとそのファッション
東京人「東京モードファイル」1996.4