自転車

 自転車が何故、この時代に流行し始めるのかは、不明です。中野浩一の活躍は大きな刺激になったでしょうし、彼の活躍で自転車競技への関心が高まったことは確かなことです。それでも下に見るように若者向けの雑誌で何度も取り上げられるようになるのは、自転車の性能の向上、軽量化、高速化などがあったのでしょう。オシャレなアウトドア・スポーツの一つになったからでしょう。生活に根ざした泥臭い、ママチャリから飛躍していきます。

中野浩一
 競輪というマイナーで、スポーツではなく、ギャンブルとしか認められていない時代に、中野浩一が最初に注目されたのは、賞金であったのは仕方がなかったのかもしれません。1980年、賞金総額1億円突破が評判になります。それもそれは競輪界の出来事であり、一般の注目を集めることはありませんでした。
 しかし、ヨーロッパで行われる世界選手権で77年に優勝、それが連続していく中で次第に世間から注目されるようになりました。本当の注目は10連覇の偉業がかかる頃であったように思います。私なんかも、その類でしかありません。競技のルールさえも知らないのですから。
 女性のウエストと同じ太さの64cmの太腿から生み出される爆発的、圧倒的な脚力で競輪界のヒーローとなった中野浩一は、自転車をギャンブルから競技スポーツへと認識を変えさせた革命児といえるのでしょう。Wikiによれば、『中野は欧州においては現在でも日本人が想像する以上のビッグネームで、むしろ伝説的な存在である。認知度も高く尊敬を集めており、特にフランスでは「ムッシュ」の敬称をつけて呼ばれている』そうです。

左:高橋ケンジ選手

レスター市競輪場での練習                          上記写真は写楽83.1号
V10達成の表彰

 この中野浩一の活躍の影響か、あるいは当時のロンドンなどヨーロッパへの関心からか自転車ブームがやってきます。国産の自転車というよりはイタリア製の何十万円もする自転車でした。



      
 日本サイクルスポーツセンターも紹介されています。まだ、この時代は近隣の人はともかく、東京辺りからでは馴染みのない頃ではないかと思います。
サイクルスポーツセンター
 何でこんなことを書いているかというと、金の余裕がないにもかかわらず相棒の共同経営者がイタリア製の自転車なんかを買ったからです。この自転車の流行は、次のバブル時代は高級車の関心が高まり、低下します。しかし、バブル崩壊以降の環境ブームもあって、イタリア製の自転車は流行していませんが、根強いブームは続いています。

パラリンピック/車椅子
 自転車の話からすると邪道なのでしょうが、他に入れる場所が無かったので。豊かさの中でそれまで社会の片隅に追いやられていた障害者の人権の回復が行われます。欧米がモデルになるのも仕方がありません。家や病院に押し込められていた障害者の方たちが外に出てくる。車椅子の姿が目立つようになりますし、東京オリンピックの頃にはほとんど注目されなかったパラリンピックが話題になるようになります。よく覚えていないのですが、凄く綺麗な女の子が事故で車椅子の生活になって、それでも元気良く、結婚したという話をフォーカスが取り上げていたこともありました。

 これは大分後になってですが、人気漫画家の井上雅彦が車椅子のバスケットを青春物として描いているリアルがありました。
井上雄彦『リアル』

 障害があることが個人的な恥であるような意識が消えていく時代がようやく始まったと言うべきでしょう。