ラグビー

 70年代からラグビーの人気が上がってきます。サッカーはまだ、マイナーなスポーツでした。大学ラグビー、特に早稲田大学のラグビーが人気を引き寄せて行きます。この時代のヒーローは小柄なスタンド・オフ宿澤広朗でした。宿沢はやがて日本代表監督としてW杯に出場します。

 80年代を彩るのは早大ではなく明大ラグビーで、名選手を輩出します。松尾雄治はその先鞭をつけるものでした。松尾は明大、その後、新日鉄釜石に所属し、全国制覇7連覇を達成した立役者となります。引退後はスポーツ・キャスターとして活動していきますが、芸能人のように次第になっていき、スポーツ界の異端児のような形になっていきました。ポーカー賭博で逮捕された以降はラグビー・マンに戻って行ったようです。

新日鉄釜石7連覇達成
 社会人ラグビーは、新日鉄釜石、その後は神戸製鋼が、それぞれ全日本7連勝し黄金時代を築きあげます。

平尾誠二
 ラグビー・ブームの最後のヒーローで、これ以降、ラグビーはサッカー人気に押されて行きます。。 同志社大学をスタンド・オフとして史上初のラグビー大学選手権3連覇に貢献。 1987年、神戸製鋼に入社。社会人時代は、日本選手権で7連覇を達成します。W杯にも3回出場。日本のW杯の初めての勝利に貢献します。


 宿沢、松尾、平尾とすべてゲームメーカーであるスタンド・オフが主役でしたが、ラグビーの本来の力強さ、フォワードの人気も次第に高まっていき、その代表が神戸製鋼所属の 大八木淳史 であり、林敏之でした。

 このラグビー・ブームに漫画も登場します。この漫画のお蔭でくじらいいくこさんは、ラグビー雑誌の挿絵を今でも担当しています。

くじらいいくこ「マドンナ」

 ラグビー・ブームは盛り上がったのですが、世界のレベルとは当時、圧倒的な差があり、日本のチマチマしたラグビーを見慣れた目には、W杯は目の覚めるような衝撃でした。何しろ日本のラグビーは倒れこんでゲームが止まることがしょっちゅうでしたから、立ったままプレイが連続する面白さは段違いでした。この世界との差はサッカーでも同じでしたが、ラグビーはプロ化の道を断じて拒否したこともあり、スター選手がいなくなると寂しいものになりました。

England
adidas
2011ワールドカップ