原初の商業

狩猟民の末裔〜商人〜
 農業と商業、漁業や狩猟と商業を見比べると、明らかに狩猟の方が商業に近いことが感じられます。顧客という獲物を追う姿や、獲物を誘い出す手立てとか、獲物自身の行動を探ろうという意識とか。取引という形で、商品の交換をする場合でも、損することも覚悟しながら仕掛けていく様は、狩猟民そのものです。そして駄目となれば諦めて次の獲物を追う姿も、商人とは狩猟民の変化した姿なのではないかと思われるところが沢山あります。
 漁業と商業を比べてみると、その手法というのが、実に漁法そのものです。通販は、延縄漁に似て、長い綱に餌をぶらさげ、魚が食らい付くのを待っている感じです。大型スーパーなんかは、トロール船で海域にいる魚を全部、捕獲してしまう底網漁です。コンビニなんかも、夜、集魚灯を焚いて集まってくる魚を掬い上げている様子です。
 市場というのも、海域に網を立てて入ってくる魚を捕獲する感覚に似ています。漁船というのは商人であったり、商人の集団ですから、常に移動しながら、漁場の中の魚が棲息する、回遊する魚を捕らえるのです。こういうのは、農業とはかけ離れた世界であり、獲物の特性を踏まえた、実にリアルそのものの世界観を提示します。
 猟と違うところは、狩が商品の提供と取得という物々交換を中心にしていることぐらいです。漁業でも餌にする魚を収穫してから、その魚を使ってより大きな魚を取りますから、最初の撒餌のこともまで考えると商業と狩猟は類似していることが分かります。

 マルクスが言うような、共同体で余剰が出てくることにより商業の始まるというのは、ありえないことが分かります。あえて余剰を作らなければ、余剰は生れてこないのです。よく熱帯の孤島あたりの住民が自分達が食べる分以上の漁をしないのは、採っても仕方がないからです。米でも、芋でも、飢饉がない世界では備蓄する理由もないのですから。