商人と商業の世界


 商(あきない)の世界は、現代の我々の生活には不可欠のものです。しかしながら歴史を紐解けば、イスラム教を除けば多くの宗教が商業を敵視してきました。また、我が国でも士農工商という身分制度の最下層に位置づけられました。以前になりますが、百貨店の社長が挨拶に立ったとき、私どものような下賎の輩がうんぬん・・という発言もありました。大学でも商学部は、それほど胸を張るものでもなく、そして商学部は商人を育てるという機能すら持っていない。商学部出身者が百貨店やスーパーに勤めるかというと、偏差値の高い大学ほど、そのような傾向はない。これはある種、我が国の特異性かもしれませんが・・・・。かくいう私も商学部出身ではありません。

(商業の不思議な力)
 J・アタリ「西欧文明の世界支配」を読み思うことは、商業が持つ力です。ルネッサンスに入る少し前に、イタリアを中心に商業が爆発的な拡大が始まります。近代への胎動というもので、「哲学は商人から生まれ、学問は商業から生まれる、芸術と数学が結びつく、それも商人の手を通じて」と書かれています。「商人達が利潤を計算し、配分を決め、リスクを計り、為替レートをつくり、金銀の正確な重量を求める。商人が社会に影響力を持つ地域では経済が発展し、農業が発展し、都市が形成される。商人は書物を読み、地図を読み、気象を知り、言語、数学を知り、商人は不正行為を行い、ごまかし、必要なら殺人までもあえてやりぬき、支配者として組織し、命令し、解雇し、管理しなければならない。」

 文明を動かす力を商業は濃く持っている。近世の江戸も商業の発展が、先物取引を生み、大福帳という複式簿記も、国学も生み、儒教の精神が日本の隅々にまで到達するのです。商取引に憑かれた都市は、もの凄い結集力をもたらすのです。様々なサービスが分化し専門化し、多様に広がっていくのです。港を生み、河川交通が江戸文明と呼ばれるものを生み出したのです。

(新たな商業に向けて)
  商業というと、単に商品を右から左に流すだけで大きな利益を得るとみなされることも少なくありません。その一方で、せっかく良い物を作ったにもかかわらず売れないという悩みを抱えている場合も非常に多くあります。売るという行為の持つ意味は、実はよく分かっていないと私は思っています。商業をめぐる空間は、近年、大きく変容してきています。
 商業が行ってきた人と人とのコミュニケーションも、ネットワークの時代を迎えて、かつてとは隔絶し始めていると私は思います。この時代こそ、商業とは何か、新しい時代の商業とは何かを考えて行きたいと思い、このページを作っています。皆様の生き方に何かしらのヒントになれば幸いです。


          
                         江戸期越後屋呉服店