大衆食堂が発生してくるのは、はっきりは分からないのですが、昭和に入ってからではないかと思います。それまでは大衆(サラリーマンを含めて)が外食をするというのは少なかったからです。労働者でも同じで基本は弁当を持っていって、どこかで食べるという形態であったのでしょう。それが戦後、高度成長期を経て、広くサラリーマンという職種?が発生すると、次第に飲食店が生まれてくる。多分、後で述べる呑み屋の方が先にあったのではないかと思いますが、呑み屋が酒ばかりでなく、ご飯類を提供する、それがやがて昼間の営業もするという形であったのではないかと・・・・・これは完全に私の想像ですが。
 いわゆる洋食屋とか、割烹の店とかは、今で言う風俗産業、かつての廓、傾城町との関係が濃いもので、いわゆる大衆食堂とは出自が違うと思います。ファミリーレストランが進化してファストフードにはならないように、専門高級店がファミリーレストランになるということも少ないようにです。技術のレベルが全然、違うし料理人が違う。

 大衆食堂というのは、大量のメニューを用意しておいて、どんな客の好みにも合わせるという特徴、そして安い、気軽であること等があり、ある意味、我が国独自の業態ともいえます。


こちらは戦前。昭和11年。写真は土門拳



(外食券食堂)

 六本木ですから、多分、大学の頃だと思いますが、奇妙な食堂があったことを憶えています。何段ものラックの上に同じおかずの皿があって、それを銘々が取ってテーブルで食べるというものでした。今で言えばカフェテリア方式ですが、メニューはひどくシンプルでした。精算した憶えもありません。何より客層が貧しい、肉体労働者でした。親に訊いたら外食券食堂じゃないのかという話でした。
 外食券は戦前戦後の食糧難時代に国の政策で行われたもので、戦後の一時期は、お金では食べさせてくれなくて、外食券がないと食べられない時代があったのです。それでも列をなして、順番にならないと食べられない。順番が来ても外食券がないと追い出されるというものでした。外食券食堂については、ザ大衆食つまみぐいさんが外食券の画像と共に当時を回顧しています。

その頃の食堂。

 私が大学の頃は昭和40年代の初めですから、一般には外食券はなくなっていますが、社会福祉政策として、貧しい人達を対象にした公営食堂が生き残っていたのかもしれません。1,2度、見かけて以降はなくなっていました。
 闇市の跡地は次第に呑み屋街に変貌していきます。

小針美男「東京つれづれ画帳」

(大衆食堂、定食屋)
 大衆食堂というと、最も多いのは労働者の町、学生街、そしてサラリーマンが膨大な数が入る事務所が立ち並ぶ地域です。大衆食堂らしい大衆食堂は、やはり労務者が多くいる地域であったでしょう。特に早朝の労働がある市場周辺とか、あるいは港近郊の沖仲士が多くいた辺りだったでしょうか。昔はトラック運転手が立ち寄る場所とか、タクシーの運転手が集う場所とか、業界では有名所があったものです。あそこに行けば会える、というものでした。メニューは普通にカレーとか、麺類(うどん・そば・ラーメン)、あとは焼き魚定食とか、煮魚定食、刺身定食とか、フライなどの揚げ物も多い。親子丼などの丼物、中華のチャーハンとか、野菜炒め、小皿に煮物とか、サラダ、佃煮、奴(豆腐)等々でしょう。
浅草:春日昌昭「40年前の東京」 大阪梅田地下
大阪九条 アサヒグラフ74.11

大阪新世界                                       大阪ジャンジャン横丁

国際情報社「美しい日本 大阪」昭和37年発行

大阪新世界                                    大阪ジャンジャン横町
大阪新世界写真時代83.5森山大道

菊水ホルモン道場 昭和26年  小針美男「東京つれづれ画帳」
ちばてつや「のたり松太郎」
大阪道修町1951
 畳敷きの処で食わせる場所もありました。大衆食堂より高級だったですが。

 駅の地下街にこういう食堂がありました。今でも面影があるのは地下鉄浅草駅ですか。少し前までは神田にもありましたが・・・。
上野駅構内食堂 東京人「上京物語」
遠藤哲夫「大衆食堂の研究」

こういう白の上っ張りを着ていましたなぁ・・
            こちらは商店街の中の中華料理店  「東京まちかど伝説
浅草昭和44年 加藤嶺夫「東京消えた街角」
ちばてつや「のたり松太郎」
徳島 写真は土門拳

 大衆食堂は何時の世も庶民の味方です。一時はFFやFRに押されて消えていましたが、若者達の街で少しづつ復活しています。これは現在の下町にある大衆食堂です。

写真は苅部山本「千住迷宮物件」
これは大衆食堂ではなく中華ですが大友克洋

 ここまで紹介してきたものは、随分、はやっている店、大きい店ですが、実際には、10人も入れば一杯という小規模な、客が入らない店も沢山ありました。拙い料理も数多く、まぁ、こんなところだからしょうがい、という印象が濃いものでした。
つげ義春
 こちらは食堂ではないですが、立ち食いのそばです。
郷田マモラ「きらきらひかる」