アメリカ軍の爆撃によって焦土と化し、住む家も、食料も、衣類も、何もかもがない。瓦礫の山が延々と続く世界に生き残るための必死の努力がありました。


 戦後の商業は闇市から始まったと言って過言ではないでしょう。戦争が終わり、工場も焼け、商店も焼け、皆が飢えに苦しむ状況の中で、物を融通しあうという形での商業の爆発的な拡大が起こったというのが私の解釈です。物々交換ではありませんが、凄まじいインフレが襲っていました。お金よりも物を持っていることが、これほど大きな力を持った時代は他に見当たらないでしょう。多くの復員兵、男女、子供までが路上に自分のもっている物を並べて売る。 大量の日本軍の持っていた物資、被災して潰れた工場、軍需物資を作っていた廃業した工場からも、やがて米軍の放出する物資、横流しが、これらの商品の穴埋めをします。闇市に手を染めることが、生きる手段でありました。

闇市
 駅前は戦時中、米軍の爆撃による類焼を避けるために、家を取り壊して広場にしてあったことです。そこに戦争直後から、地べたに持っている品物を並べて売る連中が大量に登場し、そこで得た金で、機を見るに敏な輩が不法占拠し、最初は露店で、そしてあっという間に闇市のバラックが大量に建設され、居座るという無法状態が出現します。多くが第三国人と呼ばれ、戦勝国で無いにもかかわらず戦勝国気分で、のし歩く在日朝鮮人や中国人の姿でした。中でも朝鮮人は朝鮮進駐軍と称し暴虐を働きます。

 闇市は8月15日の陛下のポツダム宣言の受容からわずか5日後の8月20日に新宿マーケットが開店して以降、国鉄の主要駅駅前に次々と開かれます。誰かが意図したものではなく自然発生的に出現してきます。当初は地べたで売った世界です。それこそ何でも売られますし、何でも売ったと語られています。
数寄屋橋  新橋  47News 
「新日本の原点」毎日新聞
 闇市に屋根が付けられ、バラックになっていくのは昭和22年から23年で、最初は下の写真のように粗末です。


 横暴な朝鮮人、中国人に立ち向かったのは、警察ではなく暴力団でした。闇市は暴力団によって守られ、拡大し、彼らが戦後、大きな勢力となる端緒となっていきます。

 こちらは新宿闇市。グレイの部分が闇市
新宿
松平誠「ヤミ市幻のガイドブック」

松平誠「ヤミ市幻のガイドブック」
 闇市は、昭和24年くらいになると、新たな段階に入り、ある区域では撤去が行政によって行われ、追われた人達が統制されない区域に移動し、マーケットとか、横丁という名前がつけられ高度成長期が終わるまで持続します。下の写真は、有楽町すし屋横丁 現在は、ビッグ・カメラ(旧、そごうデパート) 
1億人の昭和史#5
新宿駅東口に立てられた銀メシ横丁。その数200軒。1947年取り壊し
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 新宿には東口、西口、南口など数多くの闇市があり、撤去も何段階になったようです。撤去されたても、しぶとく周辺の一部が生き残って、今日残る飲み屋街、思い出横丁や新宿ゴールデン街はそれです。

 ヤミ市は闇の名の通り、様々な商品を扱い、売春も相当ありました。極めて猥雑で不穏で、犯罪者の逃げ込む場所でした。暴力沙汰も頻発し、暴力団や愚連隊が我が物顔でのし歩いていました。

 下は当時、麻薬のヒロポン(覚醒剤)が大流行しており、新宿の麻薬街に手入れが入った写真です。 捜査自体は空振りに終わったようですが(昭和28年)。



 池袋西口の池袋戦災復興マーケット。百軒店と言われていたのでしょうか。 今は駐車場になっているあたり。写真の向うの大きな建物は東武デパート。駅をはさんだ向こう側には、現在は西武、当時は丸物デパート。

                                                                    田中哲雄「東京慕情」

 その池袋のバラックが区画整理によって壊され整地される昭和60年です。向うにサンシャイン・ビルが見えます。
平嶋彰彦「昭和20年東京地図」
横浜桜木町
名古屋戦後の広小路より

 もうここいらの写真になると粗末だけれど店の形ができてきています(写真は古いカメラ雑誌の投稿写真から転載したものです)。
アサヒカメラ1963.6


アサヒグラフ 1953.9
 庶民の飾らないというか、飾る余裕もない時勢という感じもします。ただ、この時代は長くはありません。急激に豊かさを増していきます。

 仙台には壱弐参(いろは)横丁という戦後の闇市を起源とする巨大な市民市場が駅前にあります。
イシワタフミアキ撮影「昭和幻影
 こういう闇市の雰囲気を残す処は、東京では吉祥寺のハモニカ横丁くらいでしょうか。今は中の店は随分、入替わりましたが、むしろ今の飲食店だらけの姿のほうが往時に近いかもしれません。
吉祥寺ハモニカ横丁 東京人「中央線の魔力」

 闇市は社会が豊かさを取り戻していく中で、次第に商品やサービスの質の低さや、品揃えの不満から、客足は遠のき始め、商店街が勃興してくるのです。